よしむらのブログ


[社会][政治] 石破茂氏の発言から思うこと

自民党幹事長の石破茂氏の発言がいろいろと話題になっている。 発端は東京新聞の2,013年7月16日付記事。

肝心のところは有料会員でないと読めないが、転載しているブログなどもあるので興味のある方は探してみていただきたい。

この中で、石破氏が

 「『これは国家の独立を守るためだ。出動せよ』と言われたときに、いや行くと死ぬかもしれないし、行きたくないなと思う人がいないという保証はどこにもない。だから(国防軍になったとき)それに従えと。それに従わなければ、その国における最高刑に死刑がある国なら死刑。無期懲役なら無期懲役。懲役300年なら300年。そんな目に遭うくらいなら、出動命令に従おうっていう。人を信じないのかと言われるけれど、やっぱり人間性の本質から目を背けちゃいけない」

と発言したという記述があり、一部で騒ぎになった。例えば下記のブログの記事。

個人的には最初、大変な問題発言であり、とんでもないことだ、と思ったのだが、一方で石破氏のことだから、いきなり論理破綻しているようなトンデモ発言をすることもないだろう、とも思えた。これは調べてみるしかない。

まず、上記発言がなされた2013年4月21日の「週刊BS-TBS編集部」の映像をみてみる事にした。どういうわけか(笑)YouTubeには石破氏の出演した部分がほぼ全編アップされているので、早速視聴。

石破幹事長 憲法改正について語る

上記の発言はPART3で出てくる。改めて埋め込んでおくが、時間がある方はぜひPART1から通して観ていただきたい。

問題となっている発言の前後も含めて、改めて箇条書きに彼の発言をまとめてみると以下の通り。

  • 憲法(改正案)の他の条項に、軍事裁判所的なものを創設する、という規定がある。
  • 自衛隊が軍でないことの何よりの証拠は軍法裁判所がないことである、という説がある。
  • 今の自衛官は、命令を拒否したとしても目一杯行って懲役7年。
  • 国家の独立を守るためだ、出動せよ、と言われて嫌だという人がいないという保証はどこにもない。
  • それに従わない者は、その国の最高刑、死刑がある国は死刑、無期懲役なら無期懲役、懲役300年なら300年。
  • そんな目に遭うぐらいだったら出動命令に従おうっていう(歯止めになる)。
  • 今の自衛官は服務の宣誓をして自衛官になっているが、彼等の誓いだけがよすがとなっている。それでよいのか。
  • 軍事法廷は全て軍の規律を維持するためのもの。
  • 憲法改正案に記載されている「審判所」がそれにあたる。
  • 公開の法廷ではない。
  • 最終的には不服があれば上告することも可能だ、ということは理論的にはありうる(上訴権の規定がある)。
  • 何でも秘密でやってしまうということはしない。
  • しかし、審判所の目的は軍の規律を維持するということであって、そのことに広げることはしてはならない。
  • 上訴は認めているが、審判に何年もかかるようでは規律の維持は難しいので、そこの調整は図らねばならない。
  • 帝国憲法下の軍事法廷はどうであったかの検証はきちんとやらなければならない。

私の理解できる範囲で思い切り要約してみると、こんな感じか。

  • 国防軍を「普通の軍」たらしめるため、憲法改正案では軍事法廷に相当する「審判所」の設置を規定している。
  • 審判所は軍の規律の維持のためにある。
  • 規律の維持のため、例えば出動命令に従わない者には最高刑を科すことになる。

これに対し、私の感じた違和感は以下の通り。

まず、出動命令に従わない者に最高刑を科することが、軍という組織においては当たり前のような発言をしているが、本当にそうなのか。

対比させている現行の自衛隊法の規定を確認してみる。

第百二十二条 第七十六条第一項の規定による防衛出動命令を受けた者で、左の各号の一に該当するものは、七年以下の懲役又は禁こに処する。

 一 第六十四条第二項の規定に違反した者

 二 正当な理由がなくて職務の場所を離れ三日を過ぎた者又は職務の場所につくように命ぜられた日から正当な理由がなくて三日を過ぎてなお職務の場所につかない者

 三 上官の職務上の命令に反抗し、又はこれに服従しない者

 四 正当な権限がなくて又は上官の職務上の命令に違反して自衛隊の部隊を指揮した者

 五 警戒勤務中、正当な理由がなくて勤務の場所を離れ、又は睡眠し、若しくはめいていして職務を怠つた者

2 前項第二号若しくは第三号に規定する行為の遂行を教唆し、若しくはそのほう助をした者又は同項第一号若しくは第四号に規定する行為の遂行を共謀し、教唆し、若しくはせん動した者は、それぞれ同項の刑に処する。

自衛隊法

つまり、自衛官が「目一杯行って懲役7年」に処せられるのは、大雑把に言えば防衛出動命令に背いた者、ということになろう。

では、いわゆる「軍」においてはこのようなケースが本当に最高刑に相当するのか。一般的な例として適当かどうかはわからないが、旧日本軍の規定が見つかった。

逃亡罪(とうぼうざい)は、陸軍刑法第75条ないし第78条、海軍刑法第73条ないし第77条に規定された罪である。 陸軍刑法第7章第75条には次のように記されている。
『故ナク職役ヲ離レ又ハ職役ニ就カサル者ハ左ノ区分ニ従テ処断ス
 1. 敵前ナルトキハ死刑、無期若ハ5年以上ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス。
 2. 戦時、軍中又ハ戒厳地境ニ在リテ3日ヲ過キタルトキハ6月以上7年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス。
 3. 其ノ他ノ場合ニ於テ6日ヲ過キタルトキハ5年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス。』
又、未遂についても第77条に「死刑又ハ無期ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス」と罰則が規定されている。

「党与して」上の罪を犯した者、すなわち徒党を組んで逃亡したときは、
1. の場合は首魁は死刑または無期の懲役もしくは禁錮。その他の者は死刑、無期または7年以上の懲役または禁錮、未遂罪も罰せられる。
2. の場合は首魁は5年以上の有期懲役または禁錮、その他の者は6月以上7年以下の懲役または禁錮。
3. の場合は首魁は1年以上7年以下の懲役または禁錮、その他の者は3年以下の懲役または禁錮。
艦艇の乗員が故なくその艦船発航の期に後れたときは、その経過日数を問わず以上の罪に問われる。(→後発航期の項目を参照されたい) 「敵に奔りたる者」すなわち故意に敵に投降逃亡した者は死刑または無期懲役もしくは禁錮に処せられる。未遂罪も罰せられる。

Wikipedia 逃亡罪より引用)

なんと、敵前逃亡こそ最高で死刑だが、それ以外は懲役か禁錮だ。海外の事例は具体的な記述がなかなか見つけられなかったのだが、例えばアメリカでは「敵前逃亡」でも以下の様な状況とのこと。

現在では、アメリカ軍では懲役刑や配置換えなどで対処される場合が大半であり、実際に銃殺刑の判決を受けても減刑されている。第一次世界大戦以降、アメリカ軍で敵前逃亡による罪で銃殺刑になったのはエディ・スロヴィクの1名のみである。

Wikipedia 敵前逃亡 / アメリカの事例より引用)

最も重い敵前逃亡ですら現実には死刑を免れている。

そもそも、このような量刑は憲法に記載されるものではなく、当然自民党の憲法改正案にも書かれていない。つまり、憲法改正案で想定している国防軍や審判所の具体的イメージを共有するための説明として、出動命令に従わない者は最高刑、ということを述べたことになる。そしてそのイメージは、旧日本軍やアメリカ軍の規定と比べても兵士を強く押さえつけるものであり、ずいぶん踏み込んだ強権的な統制を狙ったもの、と言えるのではないかと思う。

そしてもう一点の違和感が、軍事法廷相当の機関を持つことが普通の軍の要件であるかのように述べられていること。確かに軍は一般国民とは異なるレベルで規律統制をはかる必要があり、そのために軍法が定められている。一方で、軍人を裁くために軍事法廷を持つことの弊害も指摘されている。例えば「軍法会議復活めざす自民党憲法改正草案の時代遅れ――軍事ジャーナリスト 田岡俊次」という記事では

①身内の裁判であるため「仲間かばい」や「組織防衛」(すなわち上部の保身)が露骨に反映され、国民の不信を招く

②兵卒や叩き上げの下士官など下級者には厳格だが、高級将校の責任は不問となる例が多く、規律の乱れの元となる

③軍法会議を開けば世間に事実が知れて軍の威信を損なったり、監督責任が問われるような場合、捜査も憲兵隊(自衛隊では警務隊)が行うからもみ消しが横行する

④被告の同期生や、思想に同調する将校らが救援活動を行い、集団で軍上層部や軍法会議に圧力をかけたり、法廷で上官である判事に暴言を浴びせるなど下剋上の風潮が生じる

といった弊害が上げられている。同記事によればドイツでは制度はあっても設置されておらず、オランダやベルギーでは廃止されているのだそうだ。

一般的な話として、自衛隊を軍として再定義する、という考え方には一定の合理性があることは認めざるをえないかもしれない。ただ、仮にそうするとしても、仮にも現行憲法の9条を66年も守ってきた日本なのだから、軍事法廷のような旧来の軍の常識にはとらわれず、新しい軍のあり方を十分模索すべきではないかと思う。

逆に、石破氏の発言からは、現在の自衛隊がいかに「普通の軍」でないか、ということに対する積年のいらだちが見える気がする。その裏返しとして、自民党の憲法改正案における国防軍は、旧来の典型的な軍の形を踏襲し、なおかつ強権的な統制を図ることを目指しているようにも思える。

そして、整理することで改めて確認できた。私はこのような憲法改正案には反対である。

2013年7月17日~18日の2日間での調べたこと、考えたことは以上のとおり。この分野については全くの素人がバタバタとやったことなので、的外れな部分もあるかと思う。おかしな点は随時コメントいただければ幸いです。

2013年07月19日 03:04更新
2013年07月19日 03:04投稿

[][社会] 戦争における「人殺し」の心理学(デーヴ・グロスマン 著、安原和見 訳、筑摩書房)

戦争における「人殺し」の心理学 (ちくま学芸文庫)(デーヴ グロスマン/Dave Grossman/安原 和見)

本書によれば、たとえ戦争に行った兵士であっても、人を殺すことには強烈な抵抗を感じるのだそうだ。敵と対峙し、敵が自分に銃を向けていたとしても、出来れば相手を殺したくないと思う。それは多くの動物が生得的に持っている、同類を殺すことを回避する本能によるものらしい。

第二次世界大戦において、兵士の発砲率は15〜20%。しかし、この発砲率はベトナム戦争では90〜95%にまで上昇する。軍は兵士に何をして、発砲や殺人への抵抗感を克服させたのか。殺人を行う兵士の心理とはどのようなものなのか。心理学者であり歴史学者であり軍人でもあった筆者は、丹念な調査でこれらを解き明かしていく。

私自身は、本来人は人を殺せない、という事実に一縷の希望を感じる一方で、その人間の本性を変える手法が確立されている、ということには戦慄を覚えずにはいられない。

[Posted on 2008-10-12]

2008年10月12日 01:35更新

[][社会] 日本の刑罰は重いか軽いか(王雲海・著)

日米中の刑罰に関する比較論。単に制度面での比較にとどまらず、社会・文化的要因を考慮に入れた比較となっており、非常に興味深い。例えば以下のような事例が挙げられている。

 次に、中国の刑法の中で犯罪として定められているのはあくまでも大きなことに限る。例えば、刑法に窃盗罪という規定があるが、それを定めている刑法典第二六四条によると、窃盗罪になるのは、窃盗した金額が比較的大きいか、数回窃盗を繰り返した場合のみである。

つまり、中国では小額の盗みは、法には反しているかもしれないが、犯罪ではないのである。一方で日本は量に関わらず違法行為は犯罪であり、米国では内容によって量が関係あったりなかったりする。

また、日本の以下のような例も挙げられている。

 周防正行監督の映画『それでもボクはやってない』で描かれているように、今の日本では痴漢行為などの逮捕者が多くなっている。たとえ微罪・迷惑行為で法律上の刑罰が罰金程度の軽いものでも、一旦逮捕されたら、それに伴って実際に生じる社会的制裁が過酷であり、自分だけではなく家族までもが世間に白い目で見られるだけでなく、生活全般がほぼ壊滅的な状態に追い込まれることがあり得る。

(中略)

 このように日本では、法律上は「無罪推定」「罪刑法定」が原則とされているにもかかわらず、社会上は「有罪推定」「罪刑不法定」になっている。

このようないくつかの事例を検証・考察した上で、最終的には

「権力社会」中国・「法律社会」米国・「文化社会」日本

という形でそれぞれの社会特質をまとめ、これが犯罪や刑罰に大きな影響を及ぼしていることを示している。

日本の刑罰は重いか軽いか (集英社新書)(王雲海)

[Posted on 2008-05-20]

2008年05月21日 23:42更新
コメント(1) [コメントを投稿する]

_ よしむら [タイトルに誤字があったので修正しました(思い→重い)。お恥ずかしい。]


[][社会] 死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う (森達也・著)

各所で話題になっている本なので、ご存知の方も多いと思う。気になっていて未読なら、ぜひ読んでほしい。読むべきだ。

そもそも死刑とはどういうものなのか、死刑囚は執行までの日々をどのように過ごし、刑はどのように執行されるのか、死刑制度に関わるさまざまな人々は何を思っているのか…。森達也が丹念に取材を重ね、自問し、悩みながら綴った「死刑をめぐるロードムービー」。

死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う(森達也)

[Posted on 2008-05-20]

2008年05月20日 00:55更新

[札幌南][社会][イベント] 2007六華シンポジウム、成功裏に終了

札幌南高校32期の同期によれば、以前紹介した 2007六華シンポジウム「わが中年世代の『ココロの危機』をどう乗り越えるか」当ブログ内紹介記事)は、大成功のうちに無事終了したとのこと。

個人的にも非常に興味のあるテーマだったので、実際に聞きに行けなかったのは残念。

もし聴きにいった方がこれを読んでいたら、ほんの一言でも下のコメント欄に感想など書き込んでいただければ幸いです。

2007年10月08日 12:43更新

[社会] 国家と罰

日経ビジネスのNBonlineに掲載されている『国家と罰』が非常に興味深い。

佐藤優氏(起訴休職外務事務官・作家)と伊藤乾氏(東京大学大学院情報学環准教授(作曲=指揮・情報詩学研究室)、東京藝術大学講師)が、国家のあり方、死刑制度について対談。人権問題としてではなく、国家論、国権論として死刑制度反対の議論を展開している。

まずは、以下のような問題提起がなされる。

佐藤 (略)  イスラエルで死刑が廃止されているというのは、「死刑囚がかわいそうだ」というような情緒論ではなく、実は国権論から考えてのことなんです。死刑によって法秩序を維持するのは弱い国家だという意識があるからです。アイヒマンの処刑についてもイスラエル国家の弱さを示すものとイスラエルの知識人は認識しています。

 聖書には「汝、殺すことなかれ」とある。人が人を殺すことはいけないのだから、まして、国家が人を殺すことはいけないという思いが、私も塀の中で強くなったのは確かです。ただし、このような信仰に基づく個人的見解を初めから公共圏の討議に持ってくるのはカテゴリー違いだと思います。私は国家主義者です。従って、国権論の観点から見て、死刑は廃止すべきだと思うようになりました。

伊東 こういう議論は、もっときっちりなされるべきだと本当に思いますね。日本国憲法は全文において高らかに「国民主権」を謳っているけれど、刑法は明治41(1908)年に施行された第9条のまま、刑罰の種類として「死刑、懲役、禁錮、罰金、拘留及び科料を主刑」としています。欽定憲法下の刑罰が、国の制度が変わっても温存されたままになっているけれど、その矛盾を明確に指摘する人は、きわめて少ない。でもいったい「主権者を吊るす国家」ってどういうものなんでしょうね?

うーん、「死刑によって法秩序を維持するのは弱い国家」なんて考えたこともなかったけど、確かにそうかもしれない。「主権者を吊るす国家」っていうのも強烈だ。

以後、取調べや裁判における問題点、佐藤氏が収監されていた際に見聞した死刑囚の様子に基づく議論が展開されている。特に佐藤氏が体験を語る部分は圧倒的に面白い。

まだ連載半ばだが、このあと冒頭の問題提起がどのように議論されていくのか、大いに期待したい。

なお、購読には登録(無料)が必要。ちょっと面倒だが、それ以上の価値あり!

[posted on 2007-09-30]

2007年09月30日 07:32更新

[社会][イベント] 2007六華シンポジウム「わが中年世代の『ココロの危機』をどう乗り越えるか」

(いつもと文体を変えて…)

北海道札幌南高校「六華(りっか)同窓会」では、毎年幹事にあたる期の卒業生が特別事業を行っています。今年は私の卒業期である南32期 (1982年卒) による企画で、「わが中年世代の『ココロの危機』をどう乗り越えるか」というシンポジウムを行うことになりました (10月6日 13:30〜16:30 道新ホールにて)。私自身は遠隔地在住を言い訳にして、今回の企画を含む同窓会の活動に対して何も貢献できていないのですが、この企画については広く皆様に知って頂きたく、ここに紹介する次第です。

 私たち南32期は、高校卒業後25年を経て、人生の折り返し地点を過ぎた年代です。社会でも第一線の立場となり、また、小・中・高校生位の子どもをもつ年代でもあります。ところが、そんな私たちを取り巻く状況は決してたやすいものではありません。「よりよく生きたい」という願いとは裏腹に、中年世代の自殺者は増加し、経済の厳しさも続いています。同様に子どもを取り巻く状況も複雑になってきています。次の世代である子どもたちに幸せな社会を約束することができるのでしょうか?いや、子どもどころか、私たち自身が「よりよく生きる」ということは今の私たちには可能なのでしょうか?「不惑」をとうに過ぎた私たちは、いまだ惑いの中にいます。中年世代の危機はココロの危機といえるのかも知れません。そして、社会の一線でがんばってゆかなければならない責務のある私たち中年世代のココロの危機は、現代の、そして次世代をも巻き込んだ危機であるのかもしれません。

 今年の実行委員会のテーマであるnoblesse oblige(「高貴な義務」)。これを「私たち社会の一線を担う世代が果たすべき責務」ととらえ、一般市民、学生、同窓生、同世代人に広く問いかける特別講演とシンポジウムを、同窓会の特別事業として企画することにいたしました。「中年世代のココロの問題と生き方の問題について考え、我々がよく生きることこそが次世代を幸せにすることなのだ」ということが、参加した多くの人々とともに共有できることを望んでいます。

(企画書より一部抜粋)

確かに私自身を振り返っても、未だ惑うことばかり。よりよく生きることに関してはまだまだ手探りの状況です。このシンポジウムがココロの危機を乗り越えてよりよい生に至るための、何かのきっかけになれば素晴らしいと思います。

第一部は上智大学名誉教授のアルフォンス・デーケン氏による特別講演、第二部は元HBCの松永俊之氏のコーディネートで、我が同期の3名をシンポジストとするシンポジウムです。

札幌およびその近郊在住の方、10月上旬に札幌に行く予定のある方、興味がありましたらぜひご参加ください。 よろしくお願いします。

2007 rikka symposium

2007六華シンポジウム「わが中年世代の『ココロの危機』をどう乗り越えるか」

  • 2007年10月6日(土)13:30〜16:30
  • 道新ホール(札幌市中央区大通西3)
  • 入場無料 定員700人 整理券配布中
  • 問合せ先:札幌市コールセンター(Tel 011-222-2894)

第一部 特別講演「 よく生き よく笑い よき死と出会う」
講 師 アルフォンス・デーケン 上智大学名誉教授

第二部 シンポジウム「わが中年世代の『ココロの危機』をどう乗り越えるか」
コーディネーター 松永 俊之 元北海道放送(HBC)アナウンサー

札幌市役所のサイトにも紹介されています。南32期のサイトでの告知はこちら

履歴

  • 2007-09-19 南32期のサイトの告知をリンク
  • 2007-09-09 大幅改訂

[posted on 2007-09-06]

2008年04月26日 15:59更新

[映画][社会] ルワンダの涙

「難民映画祭」というエントリーでも紹介した第2回難民映画祭のCLOSING NIGHTに行って来た(7/26 19:00〜 ドイツ文化会館にて)。

正直なところ、かなり地味なイベントを想像していたのだが、大間違いだった。上映開始間近に会場に到着してみると、既に満席どころか立ち見ですら入り込む余地がほとんどない状態。聞けば昨年の第一回は延べ2500人の来場者だったのに対し、今年は延べ5000人が来場したとのことで、まずは素晴らしいことだと思う。

上映作品は、「祖国への手紙」と「ルワンダの涙」。前者はルワンダからイギリスに亡命したジャーナリスト、カイガンバ氏の日常を描いた短編で、渇望していた家族との再会が希望を感じさせる。

が、そのカイガンバ氏が亡命するに至った事情の背景ともなった1994年の大虐殺事件を取り上げた後者を観た時、私が感じた「希望」とカイガンバ氏の「希望」にはあまりに大きな隔たりがあることを思い知らされた。

「ルワンダの涙」は、1994年のルワンダで起きた、フツ族によるツチ族の大虐殺を改めて検証するとともに、その中に巻き込まれた白人たちの苦悩、逡巡、後悔を描いた作品である。目の前で多くのツチ族住民が殺されていく中、命令がないと身動きの取れないベルギー籍国連軍や、現地住民を見捨てて母国からの救援隊にすがる白人たち、それに土壇場で死を恐れて逃げることを選択した教師など、いちいち自分たちに重なって見えてしまう。心に重い問いかけを残す映画であった。

少々残念だったのは、字幕が読みにくかったこと。しばしば白い背景の上に白い文字が重なり、判読できなかった。英語もあまりよく聴き取れず(これは私の英語力の問題)、おそらくはいくつもの重要なせりふを認識できていないのではないかと思う。

狭い会場内の空調の問題など、運営については多少バタバタていたが、観客数が昨年に比べて一気に倍に増えたことなどを考慮すると、止むを得ない面もあったのではないかと思う。それよりは、このような映画を見る機会を設けてくれたこと自体に大いに感謝したい(本当はあと何本か観ておきたかった…)。

なお、「ルワンダの涙」は今年春にいくつかの劇場で上映されていたらしいが、現在はどこも上映を終了している。9月にはDVDが出るので、ぜひ多くの方に観ていただきたい。

ルワンダの涙 [DVD]

[posted on 2007-07-27]

2007年12月09日 01:27更新

[映画][社会] 難民映画祭

間もなく「難民映画祭」が開催される。 私自身は行けるかどうか微妙ながら、多くの人に知っていただきたく、ここに告知する次第(以下公式ページより転載)。

日程: 2007年7月18日(水)〜26日(木)
会場: 東京日仏学院(JR/地下鉄 「飯田橋」駅 徒歩7分)
    Goethe-Institut ドイツ文化センター(地下鉄 「青山一丁目」駅 徒歩5分)
    イタリア文化会館(地下鉄 「九段下」駅 徒歩10分)
    スウェーデン大使館(地下鉄 「神谷町」駅 徒歩5分)
入場料:無料 (先着順: お席に限りがありますので予めご了承下さい。)
共催: 国連難民高等弁務官(UNHCR)駐日事務所
    日本UNHCR協会
お問い合わせ: jpntofes@unhcr.org

下記ページには難民映画祭のディレクター、キリル・コニンさんのインタビューもある。

左にしばらくバナーを貼っておく。興味のある方はぜひ足を運んでいただきたい。

[posted on 2007-07-13]

2008年01月08日 22:56更新

[社会] 緊急追悼集会「アンナ・ポリトコフスカヤの暗殺とロシア・チェチェン戦争」

チェチェン総合情報 より。

もう日付は今日になってしまったが、12日 (木) にアンナ・ポリトコフスカヤの追悼集会が開かれる。転載歓迎とのことだったので、ここに転載。

News! 緊急追悼集会「アンナ・ポリトコフスカヤの暗殺とロシア・チェチェン戦争」に、ぜひご参加を!!

<<転送・転載歓迎>>

10月7日、チェチェン戦争を追っていたジャーナリストのアンナ・ポリ
トコフスカヤ女史が、モスクワで何者かに暗殺されました。彼女は99年
以来、毎月のようにチェチェンに通い、軍事侵攻によって虐げられた人々
についての地道な報道をかさねており、その報道は、プーチン政権への厳
しい批判となっていました。日本でも「チェチェン やめられない戦争」
などの訳書によって知られている彼女を悼む声は、強くなるばかりです。

ジャーナリズムや平和、人権の運動でチェチェンに関わってきた私たちは、
彼女の突然の死を悼み、この暗殺に抗議するための緊急追悼集会を企画し
ました。同じ試みが、世界各地で同時発生的に生まれています。この事件
によって、世界中の平和を求める人々と、社会の問題を告発しようとする
ジャーナリズムは、大きな挑戦を受けているのではないでしょうか。

集会では、長年チェチェンを現地取材し、ポリトコフスカヤ女史にも取材
している林克明さんと、ソビエト連邦崩壊後のジャーナリズムに対する弾
圧をウォッチしてきた稲垣收さんの報告を伺います。また、当日は女史へ
の追悼文を発表するとともに、遺族にあてたお見舞金を受け付けます。献
花も可能です。会場では、さきにあげたポリトコフスカヤの著作を販売い
たします。

ぜひ、ご参加くださいますよう、お願いいたします。

そして、この案内をご覧になった方々にお願いがあります。今回は緊急集
会ということもあり、明日12日までの短期間に、インターネットを通じて
しか告知できません。この暗殺事件がつきつけているものは、地域の垣根
を越えて大きなものだと思います。どうか、ひとりでも多くのご友人に、
この案内を転送してください。よろしくお願いします。(主催者一同)

【概要】

集会名: 緊急追悼集会「アンナ・ポリトコフスカヤの暗殺とロシア・チェチェン戦争」
日時 : 10月12日(木)19時00分〜21時00分(開場18時30分)
会場 : 文京区民センター 2A (210名収容可)
地図 : http://www.city.bunkyo.lg.jp/sosiki_busyo_academy_shisetsu_gakusyubunka_kumincenter.html
交通 : 交通:地下鉄丸ノ内線・南北線「後楽園」駅徒歩5分/地下鉄三田線「春日」駅A2出口真上・大江戸線春日徒歩1分

参加費: 300円 (可能な方はお見舞金への協力をお願いします)
共催 : チェチェン連絡会議 市民平和基金 チェチェンニュース編集室 チェチェンの子どもを支援する会 ハッサン・バイエフを呼ぶ会 社団法人アムネスティ・インターナショナル日本 日本ビジュアル・ジャーナリスト協会
後援 : DAYS JAPAN 週刊金曜日

連絡先:editor*chechennews.org (*を@に置き換えてください)

【内容】

報告: 林克明(ノンフィクションライター)「ポリトコフスカヤという人・事件の経過報告」
 稲垣收(フリージャーナリスト・翻訳家)「ポスト・ソビエト時代の報道弾圧の歴史」

司会:青山正(市民平和基金代表)

共催各団体からのメッセージ・アピール 追悼文または共同声明の読み上げ

以上

2008年04月19日 10:14更新

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