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ロビーラを聴く(その1)〜行きあたりばったり音楽談議(15)


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はじめに

前回のエル・デスキーテのアルバム紹介これまでのライブのレポートなど、エドゥアルド・ロビーラについて言及することは多いのですが、肝心のロビーラ本人について、これまでまとまった形でご紹介する機会がありませんでした。

幸いにして最近、ロビーラの演奏も何枚かのCDで手軽に聴くことができるようになりましたので、これから数回にわたってこれらをご紹介して行きます。

純粋で透明な美しさに満ちた『ケ・ロ・パーレン』

最初にご紹介するのは、Rovira - Nichele名義によるCD "Que lo paren" (Acqua, AQ 004)です。これは、1975年に録音された同名のタイトルのロビーラのアルバムと、同年に録音されたレイナルド・ニチェーレの"El violín de mi ciudad"を一枚のCDにまとめたもので、1997年にリリースされました。

CDの前半に収録されたロビーラのアルバムは、彼にとって7年ぶりのタンゴの録音でした。しばらく彼はクラシックの世界で活動しており、久々のタンゴ界への復帰だったわけです。

編成はロビーラのバンドネオンとヴァイオリン、ピアノ、コントラバスの四重奏で、「現代タンゴ集団」(Agurupación de Tango Contemporáneo)を名乗っています。実はこのグループ、全く同じメンバーでヴァイオリンのレイナルド・ニチェーレをリーダーに立てた活動も行なっています。CDの後半収録されたニチェーレ名義のアルバムはこのグループによるもので、結局こちらもロビーラの編曲、バンドネオンの聴ける内容となっています。

ピアソラと並ぶ前衛派と言われることの多いロビーラですが、ここで聴かれるのは、ピアソラの熱さとは違った、やや内向的で静かな音楽です。ロビーラ名義の録音は全曲ロビーラの作曲で、特にバロック風の「マホ・マフ」(2)、わかりやすいメロディー(歌謡曲風?)の「マベルとペルーカのためのミロンガ」(3)、深い情感をたたえた「エルネストのためのタンゴ」(6)は、いずれも純粋で透明な美しさに満ちています。他にも、緊張感が高まったところでふっと力を抜いたようなヴァイオリンの短いモチーフが次の場面への展開を促す「チャルーアのためのタンゴ」(4)や、複雑なリズムで激しい曲想ながらどこかクールな「タプララ」(5)など、何度も聴くうちにどんどん魅力が増してくる曲ばかりです。

CD後半のニチェーレ名義の録音では、「わが街のヴァイオリン」(8)がロビーラの作品。ニチェーレへの敬愛の念が籠った作品…だと思うのですが、この曲が1962年に最初に録音された際にはヴァイオリンはウーゴ・バラリスだったので、作曲当時はその意図はなかったのかもしれません。いずれにせよ、ニチェーレ渾身の演奏は胸に迫ります。この他はいわゆる古典タンゴですが、ロビーラによる編曲は創造力に富んだ美しいものです。個人的な好みでは「椿姫」(9)、「動機」(10)が素晴らしい。

7年ぶりのタンゴへの復帰作がこのような充実した内容だったにも関らず、その後は録音の機会はないまま、1980年にロビーラは亡くなってしまいました。1925年生まれとのことなので、まだ55歳の若さだったことになります。

ちなみにこのアルバムは、録音当時には日本での発売の予定もあったものの、一旦はボツになってしまいました。さらにニチェーレの方は、実は企画は日本から持ちかけられたものだったそうなのですが、これまたボツになり、アルゼンチンでもしばらくはリリースされませんでした。。

その後"Que lo paren"の方は、1982年にポリドールから『バンドネオンの輝き』の邦題で発売されています(ちなみに私にとっては、この日本盤が最初のロビーラ体験でした)。"El violín de mi ciudad"の方は1982年にアルゼンチンでカセットで発売されたのみで、このCDの復刻は非常に貴重なものだったと言えます。

というわけで

前からやりたかったロビーラのアルバム紹介に、ついに手を出してしまいました。今出ているCDについては多少時間がかかってもちゃんと紹介しますので、ご期待ください。

データ

参考:日本盤LPのジャケット

一旦ボツになった幻のLPジャケット(提供:石川浩司氏- 2003/9/1追加)

参考文献:

(2003年7月27日作成)

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