今回は「行った」ではなく予定の告知です。
コントラバス奏者の斎藤徹さんから、以下のコンサートの情報をいただきました。
これは要注目です! お時間の許す方はぜひとも足を運んでみて下さい。
[2000.9.18追加] さらに、私が「何かコメントがあれば」とお願いしたところ、 徹さんのタンゴとの出会いから今回のコンサートに至るまでの経緯などを書いた文章を寄せて下さいました。 ぜひとも読んでみて下さい (読むときっとコンサートにも行きたくなりますよ)。
2000/10/1 YOKOHAMA CONTEMPORARAY ORCHESTRA [ SYMPHONIC IN JAZZ ] 横浜ジャズプロムナード2000 横浜ジャズウイーク参加事業 開場14:15 開演15:00 関内ホール 大ホール 入場料 前売り2.000円 当日 2.500円 全席自由 横浜ジャズプロムナード2000(一日券)とのセット券 5.000円 出演 齋藤徹(作曲・コントラバス) 澤井一恵(箏) 小松亮太(バンドネオン) 神奈川フィルハーモニー管弦楽団 佐藤寿一(指揮) 徳永洋明(指揮・編曲) 曲目 バッハ「パッサカリアとフーガ」オケのみ 齋藤徹「ストーンアウト〜オーケストラ版」ソロ:斎藤・澤井+オケ 齋藤徹「タンゴ・エクリプス〜プグリエーセとピアソラに捧ぐ」ソロ:斎藤・小松+オケ ワイル「三文オペラ」よりの組曲 オケのみ (監修・小松一彦) 主催 (財)横浜市文化振興財団 協力 横浜ジャズプロムナード実行委員会、横浜ジャズ協会 後援 横浜市、神奈川新聞社、TVKテレビ、RFラジオ日本、Fmyokohama 84.7 問い合わせ、(財)横浜市文化振興財団 045-682-4108 チケット取り扱い 神奈川フィルチケットサービス 045-331-6699 チケットぴあ 03-5237-9999 関内ホール 045-662-1221 横浜高島屋6Fプレイガイド 横浜そごう6Fチケットショップ 相鉄ジョイナスプレイガイド、 市内主要プレイガイド
私とタンゴの出会いは、まったく偶然でした。 1986年夏にブエノスに行けるよ、という甘い言葉に乗って、エキストラとしてプグリエーセ・コピータンゴ楽団にはいりました。 (なんとその楽団には、斎藤充正さんがバンドネオンを弾いていて、後には高場将美さんがギターで入ったり、高柳昌行さん、広木光一さん、飯泉昌宏さんが入っていたりします。 そのブエノス行きには、またまたなんとあがた森魚さんも入っており向こうでいくつかの物議をかもしだしました。) ブエノスでプグリエーセさんに会い、一緒にジュンバを演奏したりして、帰国した時には、私は別人となってました。 ともかく音楽家としてのプグリエーセさんの姿勢・人生、聴衆の熱狂、タンゴという音楽を自分たちの誇りにしている環境などに打ちのめされたのでした。 ジュンバに徹底的にやられてしまった感じです。 そこからピアソラをみると彼もジュンバを最後まで追いかけた人とも言える面も見えます。 晩年になればなるほどピアソラの中のジュンバはドンドン増えていきました。 その側面からみても、ピアソラはタンゴの異端者ではなく、タンゴの本流だと直感しました。 フリオ・デ・カロから発し、プグリエーセ・トロイロと流れピアソラに繋がるという略図です。 それはその後の歴史が証明したと思います。 そんなこんなで帰国後、ピアソラをやるグループをいくつも懲りずに作っては失敗しました。 高柳昌行・広木光一・板橋文夫・古沢良次郎・田邊義博・吉野弘志など有能なジャズミュージシャンを誘いました。 ジャズの人と演奏するとうまくいけば行くほどピアソラを演奏する意味が無くなっていきます。 それはそうでしょう。ジャズの人は自己表現が信条で自由にアドリブしていくことが第一義です。 ピアソラの曲のある部分のコード進行を借りて、アドリブをして、それがいくらうまくいっても何の意味がありましょう。 みんなに私と同じタンゴのモティベーションを求めることは不可能なのです。 オスワルド・レケーナさんにレッスンを受けたときにフォルクローレやタンゴに対してどれだけ彼が誇りに思っているかを痛感しました。 彼はその時アルゼンチンのプロ演奏家の審査員をしていて、審査基準は「演奏」よりも「誇り」だと言ったことなどを思い起こすと、日本で外国の音楽のグループを作ること自体の不可能性も感じました。 そんな中、ピアソラ自身はもの凄く音楽を進化させていきました。 モントルージャズフェスでのほとんどフリーインプロになった「A・A印の悲しみ」にはビックリしました。 その後、ヘラルド・ガンディーニの参加には、度肝を抜かれたという陳腐な表現がピッタリなくらいな衝撃でした。 日本でできないならもうピアソラグループに入るしかない!と思い(若気の至りの典型です。すいません。) 一枚CDを作り、留学中の田邊さんに託しピアソラに渡してもらう事にしました。 CDの出来はいまいちでしたが、こちらにも猶予はなく、おまけにピアソラも病に伏してました。 病院までは届けられたようですが、音楽を聴ける状態ではなかったようです。
それでもしつこくくすぶり続けた私のタンゴに手をさしのべてくれたのが小松亮太さんでした。 何度か連絡をもらい「一緒に何かしたい」というオファーを、いくつのもグループ失敗でお尻の重たい私はずるずると先延ばしにしていました。 すると、彼が初めての大きなリサイタルをするからゲストでいいから出てくれという依頼を受けました。 彼が今のスター街道を歩き始める直前のことです。 何人かのタンゴ演奏家たちに会い、リハをしコンサートが終わると、彼と近藤クロさんとだったら何かできるかもしれないと思ってしまいました。 まだまだかつての失敗から消極的だった私は一ヶ月限定でグループを作り、主にピアソラ後期の曲を演奏し「アウセンシャス」を録音して、タンゴを中退しました。 「アウセンシャス」という曲は収録しませんでした。 もちろんピアソラの不在を思っての題名ですが、当時次々と亡くなっていった巨匠たちの無きあとに残された私たちに何ができるかを自分に問うたのです。 岡部さんのジャケット写真はピアソラ自身のステージに残されたバンドネオンです。 ともあれピアソラの人生を生きることはできないと思いましたし、ピアソラだけのプログラムでピアソラマニアの前でピアソラの代役をやることは、とうてい耐えられませんでした。 そういう活動は、ピアソラが生きていたら一番嫌った生き方だろうとも思いました。 その選択に間違いはなかったと信じています。 「あのまま続けていたら生活が楽になったのに」という悪魔のささやきも自分自身から聞こえてきたことも正直ありましたが、、、、。
そして、最近、オーケストラで何か一日やってみなよ、というオファーを受けました。 これは私のような活動をしている人間には滅多に無いことです。 もしかすると私の20年の音楽生活が全て問われることになりかねません。 これはヤバイと思いましたが、生涯無いことかもしれないと居直って何をやるかの選択に入りました。 私にしかできないこと、他の人に代えが効かないものというのをキーに考えました。 そうすると韓国シャーマン音楽・邦楽・即興とタンゴがまず思い浮かびました。 私の少ないタンゴ経験から、私のような者がタンゴのオリジナル曲を作るというのはまず不可能と思っています。 では、私なりのタンゴ・私の惚れたタンゴをやってみようと思ったのです。 第一楽章では、ジュンバを徹底的にやる、これしかありません。 私の考案したコントラバスのジュンバ奏法をガンガン鳴らします。 第二楽章では、短いコラールを前後に挟んでミロンガを歌う。 ちなみにこのミロンガのメロディは、かつて渡辺えり子さん脚本の芝居の音楽をやったときに作ったのですが、某主演女優が歌うのを拒否した悔しい思い出があります。 私はとても気に入っているメロディなのでここで復活!第三楽章は5拍子のタンゴです。 5拍子を3・3・2・2や、5・5、2・3・2・3などに分解しました。 もともと私の5拍子好きとピアソラの3・3・2を意識したものです。 ここでのコード進行は「酔いどれたち」の例のあれです。 ラテン圏で広く使われているあの進行はピアソラ自身も何度も使っています。 私のタンゴにとっても抜き差しならぬものですので使わせていただきました。 その5拍子が破綻してハバネラが現れます。 ハバネラも好きです。 トロイロやプグリエーセでハバネラが突然現れるところが何とも言えず好きでした。 その後、4+2の威勢のいいタンゴを弾いて終わる予定です。
小松さんの契約上録音等はできませんので是非関内ホールへ足をお運び下さい。
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最終更新: Sep 18, 2000