「ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの」を観てきた!
「ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの」、公開初日の初回に観に行ってきた。楽しみつつもいろいろ考えさせられるものがあり、最後はしみじみ。予想に違わずいい映画だった。
とりあえず前回も貼ったトレイラーを再度紹介。
さて、以下はネタバレ注意。
いくつか感じたことをつらつらと。
非常に断片的だが思いつくままに。
この映画でのハーブは一貫して無口。最初しばらくは昔のシーンを除いてほとんど言葉を発することがなく、もしやこの時点ですでに喋れなくなっていたのか、と思ってしまったほど。その後いくつかのシーンで言葉を発するのを聴いて安心したのだが、同時にその言葉の強さに驚いた。例えば美術館で展示のしかたにコメントするシーン。この作品はこの壁ではだめだ、あちらの壁が良い、とか、隣の作品と高さは同じに、とか。言葉に全く逡巡がなく、シンプルにして明確なのだ。何をどうすれば美しいのか、はっきり本質を掴む目とそれを表現する言葉に感銘を受けた。
また、「僕もアーティストだったので」という言葉が二、三度あったように思う。彼自身が誇りに思っていることなのだろう。前作ではあまり聴かなかった言葉だっただけに、非常に印象に残っている。
同時に、夫にかわって大半のコミュニケーションを担当するドロシーの話し方もとてもチャーミング。もちろん彼女もアートを観る力は十分に高いのだろうが、それ以上に彼女の存在がなかったらアーティストや美術館との関係もこれほどまでにはうまく行かず、コレクションもここまでは充実できなかったかもしれない。
夫妻とアーティストの関わりでは、売れなくなっても夫妻に評価されたことで誇りを保つことができたというチャールズ・クロフ、その姿勢から多くのバッシングを受けながらも夫妻は理解してくれたと語るジョン・コスタヴィが印象的。そして最も夫妻に近かった一人、リチャード・タトルとの「50×50」を巡っての意見の対立と和解は胸が熱くなる。
思わず涙がこぼれたのはラストシーン。ハーブが亡くなったあと、ドロシーがコレクションの終結を決意し、アパートからは全ての作品が運び出される。アートで埋め尽くされていた壁も空白に変わってしまっているが、視線を動かしていくと一枚だけかけられた絵…。美しい余韻と愛にあふれたラストシーンだと思う。
ハーブ&ドロシー プログラムと新作DVD posted by (C)よしむら
写真は左から旧作プログラム、新作プログラム、そして新作DVD。なんと映画公開と同時にDVDも販売を始めているのだ。ただし映画を観た人向けで、劇場でしか売っていない模様。興味深いトライアルだ。
卓球好き、音楽好きです。飲み食い好きが高じて料理もします。2024年ソニーグループ(株)を退職し、同年より(株)fcuro勤務のAIエンジニアです。アルゼンチンタンゴ等の音楽について雑誌に文章を書いたりすることもあります。
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