九月、東京の路上で ~1923年関東大震災 ジェノサイドの残響 (著・加藤直樹、発行・ころから)

 今回の震災の死者は1万人、もしかしたら2万人を超えてしまうかもしれない。テレビや新聞でも、見出しになるのは死者と行方不明者の数ばっかりだ。だけど、この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、被害者のことをまったく理解できないんだよ。
 じゃあ、8万人以上が死んだ中国の四川大地震と比べたらマシだったのか、そんな風に数字でしか考えられなくなっちまう。それは死者への冒涜だよ。
 人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。

ビートたけしが震災直後に語った「悲しみの本質と被害の重み」(NEWS ポストセブン) – Y!ニュース
本書を読んで真っ先に思い出したのがこの言葉だった。まさに同じ想いが詰まっている。
多くの人は歴史の授業で、関東大震災の際「朝鮮人が武装蜂起する」「井戸に毒を投げ込んだ」などの流言が飛び交い、それを信じた日本人によって多くの朝鮮人や中国人が殺された、という話は習ったことがあると思う。本書はその忌まわしい過去について、全体像を俯瞰する代わりに個々の事例を丹念に具体的に掘り下げている。
大井町から品川警察署に移動して保護された全錫弼(チョン・ソクピル)。
同胞が殺されるのを横目に荒川の四ツ木橋を渡り、自らも殺されかけた曹仁承(チョ・インスン、チョは正しくは縦棒一本)。
世田谷の千歳烏山で自警団に襲われた朝鮮人労働者17名と、その中で命を落とした洪其白(ホン・ギペク)。
埼玉県の寄居警察分署に保護されていながら、興奮した隣村の住民等に引きずり出されて殺された具学永(グ・ハギョン)。
亀戸に出動して朝鮮人狩りを行った習志野騎兵連隊の一員だった越中谷利一。
押し寄せる未確認情報に翻弄され、朝鮮人暴動の流言にお墨付きを与えてしまった警視庁官房主事、正力松太郎。
言うまでもなく当事者それぞれは一人一人名前を持つ個人である。記された証言から、どんな方法で彼らが殺されたか、どんな風に普通の市民が、警察が、軍が、彼らを殺したか、イメージすることが出来るだろう。 事件が起きた場所は今でも地上の一点として存在し、東京近辺に住む者ならいくつかの場所は行ったことがあったり、行くための具体的な経路を思い浮かべたり出来るだろう。それこそが本書の大きな意味であると思う。収録された文の出典や参考文献、リンク等も丁寧に収録されており、内容は第三者が検証可能になっている。
一部でなされている総数で何人が殺されたかという数字の議論は、歴史上の評価としては意味があるにしても、ここに記された個々の事件の重さとは無関係である。工事現場で働く労働者の彼が、飴売りの青年の彼が、何ゆえに殺されなければならなかったのか。それを思えば 、そもそも日本人が罪もない朝鮮人を殺すはずがない(殺された朝鮮人は罪を犯したものばかりである)などという粗野な主張もできるはずがない。
ネットや路上でヘイトスピーチが渦巻く今。正直なところ、ヘイトスピーチを撒き散らす人々に本書のような内容はもはや届かないかもしれない。だからせめて、彼らの主張に全面的には賛同しないものの、何となく嫌韓・嫌朝・嫌中な気分に流されている人、そして韓朝中に特別な感情はない一方で関東大震災の朝鮮人虐殺にも興味がない、という人に、ぜひ本書を読んでほしい。

九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響(加藤 直樹)

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