フェルナンド・スアレス・パス追悼

2020年9月12日、アルゼンチンのバイオリン奏者、フェルナンド・スアレス・パスが亡くなりました。

Murió el violinista Fernando Suárez Paz, una figura del tango

彼は1941年1月1日生まれですので、享年79歳。高齢とはいえまだまだ活躍していてもおかしくない年齢ではありましたが、2017年に演奏活動を引退し、ここしばらくは闘病のため入院していたのだそうです。寂しいですね。ご冥福をお祈りします。

スアレス・パスは、アストル・ピアソラが1978年に再結成した五重奏団のメンバーになったことで一躍その名が世界中に知られるようになりましたが、それ以前から数多くの一流のタンゴ楽団で弦セクションの一員として、あるいはソリストとして活躍していました。さらにさかのぼれば彼が最初に頭角を現したのはクラシックの世界で、アルゼンチン国立交響楽団やブエノスアイレス・フィルハーモニック管弦楽団のメンバーでもありました。ピアソラ五重奏団には1988年の解散まで10年間在籍し (1985年に短期間離脱あり)、その後は自身のグループでピアソラの音楽を継承する活動を行う一方、幅広いミュージシャンと共演し、また後進の指導にもあたっていました (略歴については Biography of Fernando Suárez Paz – Todotango.com 等も参照)。

私自身も、彼の名前を明確に意識したのはやはりピアソラ五重奏団への参加でした。五重奏団再結成のニュースを中南米音楽誌 (ラティーナの前身の音楽雑誌) で見たのが中学3年の時で、それまで苦手だったピアソラの良さがだんだんわかり始めたころ。実際の音を聴くのにはそれからさらにしばらく時間がかかり、最初は FM ラジオで、のちにレコードで新しいピアソラ五重奏団の演奏を聴いて、その独特の濃厚な表現のバイオリンに耳を奪われるようになったのでした。1982年のピアソラ五重奏団初来日の際には札幌で大学受験の浪人中だったためコンサートには行けなかったものの、1984年の二度目の来日の際にはついに生でその姿を観て音を聴くこともできました。

その後も長年ピアソラの音楽を聴く中で、その時によって1960~70年代のアントニオ・アグリの凛とした佇まいを好みに感じたり、やはりフェルナンド・スアレス・パスの濃さが恋しくなったり、と行ったり来たりはありつつも、私にとっての至高のバイオリニストの一人であることは間違いありませんでした。

ところで、彼の訃報に接して、何人かの生前彼と接したことのある人が「彼は気さくなとても良い人だった」というような思い出を書いているのを目にしました。もちろんそれに間違いはないのでしょうが、直に会ったことのない私にとってちょっと気になっているのがピアソラ本人からの評価です。というのも、ピアソラが病に倒れる寸前の1990年に行われたインタビューで、理想のキンテート (五重奏団) のメンバーについて問われたピアソラはこう答えているのです。

  ーーアストル、どうやったら理想的なキンテートができたでしょうね?
 ヴァイオリニストがフェルナンド・スアレス・パスだったらなぁ。
  ーーそれはあんまりでしょう、しらふでアントニオ・アグリを外してしまうなんて。
 スアレス・パスの方がもっとモダンで、もっと今風だよ。人間性のことはこの際置いておこう。ヴァイオリニストについて言えば、スアレス・パスこそナンバー・ワン [英語で] だ。

ピアソラ 自身を語る (ナタリオ・ゴリン 著、斎藤充正 訳、河出書房新社) p.75 赤字は引用者による

バイオリニストとしての彼に最高級の賛辞を与えつつ、気になるのが「人間性のことはこの際置いておこう」という言葉。まあピアソラ自身もいろいろ難しい面があったようなので、おそらくどこかでそりが合わないところがあったのでしょう。と同時に、そうまで言いつつも彼こそがナンバーワンであると言わしめるほどの実力がスアレス・パスにはあった、ということも印象的ですし、人間性より実力でメンバーを選ぶというピアソラの姿勢にも (プロとしては当たり前のことかもしれませんが) 感銘を受けました。

さて、スアレス・パスの名演をいくつかご紹介しましょう。まずは彼のバイオリンを思い切りフィーチャーした「エスクアロ」(鮫)。1984年のユトレヒトでのライブ映像です。

そのほかの音源については、Spotify でスアレス・パスの名演を集めたプレイリストを作ってみました。

曲目について簡単に記しておきます。

  1. Biyuya ビジュージャ (アストル・ピアソラ作曲)/アストル・ピアソラ五重奏団
    1978年にピアソラが再編した五重奏団の最初のアルバム『ビジュージャ』は1979年に録音され、翌年リリースされました。これはそのタイトル曲。メンバーはアストル・ピアソラ (バンドネオン)、フェルナンド・スアレス・パス (バイオリン)、パブロ・シーグレル (ピアノ)、オスカル・ロペス・ルイス (ギター)、エクトル・コンソーレ (コントラバス) でした。
  2. Resurección del Ángel 天使の復活 (アストル・ピアソラ作曲)/アストル・ピアソラ五重奏団
    1965年頃に作曲されたこの曲は、天使と悪魔をテーマにしたピアソラの連作の中の一つで、1980年代にもピアソラ五重奏団のライブの重要なレパートリーとしてしばしば演奏されていました。個人的にはスアレス・パスのバイオリンというとなぜかこの曲がいつも頭に浮かびます。1984年モントリオール・ジャズ・フェスティバルでのライブ録音。
  3. Mumuki ムムキ (アストル・ピアソラ作曲)/アストル・ピアソラ五重奏団
    ピアソラの1980年代に入ってからの作品。奇妙なこのタイトルはピアソラの愛犬の名前で、同時に妻の愛称でもあったのだそうです。愛する者への切ない想い、でしょうか。1987年ニューヨークのセントラルパークでのライブ録音。
  4. Nunca tuvo novio 恋人もなく (アグスティン・バルディ作曲、エンリケ・カディカモ作詞)/小松亮太=フェルナンド・スアレス・パス
    バンドネオン奏者小松亮太の1998年のメジャーデビュー作『ブエノスアイレスの夏』より小松のバンドネオンとスアレス・パスのバイオリンの二重奏。曲は1929年に発表されたロマンチックな歌曲です。二人の歌心溢れる演奏がしみじみと心にしみる演奏です。
  5. Bordel 1900 娼家1900~『タンゴの歴史』より (アストル・ピアソラ作曲)/オダイル・アサド=フェルナンド・スアレス・パス
    ブラジルのギタリスト、セルジオ・アサドとオダイル・アサドの兄弟のアルバム『プレイ・ピアソラ』にスアレス・パスがゲストとして参加した一曲。本来はギターとフルートのための組曲『タンゴの歴史』の一曲目です。楽器こそ違いますが、この曲の決定版と呼んで差し支えない演奏です。
  6. Escualo 鮫 (アストル・ピアソラ作曲)/フェルナンド・スアレス・パス=レオナルド・スアレス・パス
    レオナルド・スアレス・パスはフェルナンドの息子で、やはりバイオリン奏者。2016年に二人は『Escualo – Masters of tango violin』というアルバムを録音しており、ここから3曲はそのアルバムからの楽曲です。上の YouTube 動画と同じ曲ですが、こちらはジャズ的なアプローチや即興も交えたスリリングな演奏になっています。メンバーはスアレス・パス親子のほかクリスティアン・サラテ (ピアノ)、ラウタロ・グレコ (バンドネオン)、ロベルト・トルモ (コントラバス)、ピピ・ピアソラ (ドラムス、アストルの孫!)。
  7. Pablo パブロ (ホセ・マルティネス作曲/フェルナンド・スアレス・パス=レオナルド・スアレス・パス
    こちらは親子二人だけの演奏。曲は1920年代に作られた骨太なタンゴです。バイオリンだけで醸し出すタンゴの味わい、特にそのリズム感に注目!
  8. Los mareados 酔いどれたち (ファン・カルロス・コビアン作曲、エンリケ・カディカモ作詞)/フェルナンド・スアレス・パス=レオナルド・スアレス・パス
    同じく親子の二重奏。こちらも曲自体は1922年に発表された古い楽曲ながら、現代タンゴのミュージシャンにもよく取り上げられています。彼等もピアソラがよく使った常套句的フレーズをちりばめつつ、現代的なアプローチでの演奏を行っています。
  9. Gricel グリセル (マリアーノ・モーレス作曲、ホセ・マリア・コントゥルシ作詞)/オスバルド・レケーナ=フェルナンド・スアレス・パス
    1942年の作品。作詞のコントゥルシが愛した実在の女性の名前がタイトルになっています。演奏はピアニストのオスバルド・レケーナとの二重奏で、アルバム『Gran encuentro de los maestros del tango Argentino』からのトラック。この曲のロマンチックな美しさを余すところなく伝える名演です。
  10. Yo, romántico y sentimental ロマンティックでセンティメンタルな僕 (オスバルド・レケーナ作曲)/オスバルド・レケーナ=フェルナンド・スアレス・パス
    上と同じアルバムに収められたレケーナの作品。まさにタイトル通りの内容です。
  11. Milonga del Ángel 天使のミロンガ (アストル・ピアソラ作曲)/キンテート・スアレス・パス
    2でも述べた天使と悪魔の連作の中でもとりわけ美しさが際立つ曲。演奏はスアレス・パスの五重奏団で1996年の録音です。アストル・ピアソラ財団からの委嘱による五重奏団で、ほぼ完全にピアソラのスタイルを再現する演奏となっています。メンバーはマルセロ・ニシンマン (バンドネオン)、ニコラス・レデスマ (ピアノ)、リカルド・レウ (ギター)、ダニエル・ファラスカ (コントラバス)、そしてフェルナンド・スアレス・パス (バイオリン、指揮)。
  12. Tres minutos con la realidad 現実との3分間 (アストル・ピアソラ作曲)/フェルナンド・スアレス・パス
    最後の2曲は1991年に録音されたスアレス・パスのリーダー作『Cuerdas para Piazzolla / Strings for Piazzolla』より。ピアソラのグループのメンバーでもあったチェリスト、ホセ・ブラガートの編曲による弦楽五重奏 (バイオリン:スアレス・パスとミゲル・アンヘル・ベルテーロ、ビオラ:マリオ・フィオッカ、チェロ:ホセ・ブラガート、コントラバス:エクトル・コンソーレ) でのピアソラ作品集です。この曲は1950年代に舞踏家アナ・イテルマンのために書かれた作品です。
  13. Final. Entre Brecht et Brel フィナーレ ブレヒトとブレルの間で (アストル・ピアソラ作詞、クロード・ルメール作詞)/フェルナンド・スアレス・パス
    ラストはピアソラが1980年代にイタリアの歌手ミルヴァと共演した際に書いた美しい歌曲。ここでのスアレス・パスの歌心は、まさに胸に迫るものがあります。

以上、巨匠を偲びつつ楽しんでいただければ幸いです。

最後にちょっと余談。フェルナンド・スアレス・パスという名前、姓だけ呼ぶ時にパスと呼ぶのは誤りのようです。スアレス・パスがひとまとまりの姓なのです。ちなみにバンドネオン奏者のフアン・ホセ・モサリーニはフアン・ホセが名でモサリーニが名、ラ・クンパルシータの作曲者ヘラルド・エルナン・マトス・ロドリゲスはヘラルド・エルナンが名でマトス・ロドリゲスが姓。二語の名は二語目を省略したり (エンリケ・マリオ・フランチーニ→エンリケ・フランチーニ) 二語をくっつけた愛称になったり (フアン・ホセ→フアンホ) することもあります。二語の姓は一方を省略することはないようです。ややこしー。

これらについて説明すべくスペイン語の姓名について調べたのですが、スペイン本国での事情については結構詳しい説明が見つかるものの (例えば スペイン人の名前や苗字の構成は?女性と男性で人気の名前は?)、アルゼンチンのアーティスト名とは合致しないケースが多く、うまく説明できません。とりあえずはそういうものだと思ってください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です