Viaje de Tango 第2回 アニバル・トロイロ
先日 よしむら、またラジオに出たってよ…吉村俊司のViaje de Tango でご紹介したとおり、東京都狛江市のコミュニティ FM 局 コマラジで毎週日曜正午から放送されている「Marcy & Magi の Tango en Tokio」という番組の中で、月一回「吉村俊司の Viaje de Tango」というコーナーを担当しております。5月16日 (2021年) はその第2回で、ピアソラからのつながりでさまざまなアーティストを紹介するシリーズの第2弾、ピアソラの師匠にあたるアニバル・トロイロの特集でした。今回も事前メモを公開します。
目次
Viaje de Tango 事前メモ
アニバル・トロイロ
- 1914~1975
- 誕生日の7/11はバンドネオンの日
- バンドネオン奏者、楽団指揮者、作曲家
- ニックネームはピチューコ
- 泣き虫を意味するナポリ方言 Picciuso を元にトロイロの父親が付けたニックネーム
参考:Aníbal Troilo (Wikipedia), En recuerdo de ‘Picciuso’ (El Mundo)
- 泣き虫を意味するナポリ方言 Picciuso を元にトロイロの父親が付けたニックネーム
- 十代前半にはプロデビュー、フアン・マグリオ・パチョ楽団を皮切りにさまざまな楽団に参加
- ニューヨークから帰国したピアソラがラジオで聴いてタンゴを志すきっかけになったエルビーノ・バルダーロ楽団の第一バンドネオンもトロイロ
- 1937年に自身の楽団を結成
- タンゴの黄金時代を牽引、晩年まで最も人気のある楽団のひとつとして活躍
トロイロとピアソラ
- 1939年 ピアソラはトロイロ楽団に参加
- トロイロ楽団が出演するカフェに通いつめて全てのレパートリーを記憶
- たまたまバンドネオンに欠員が出た日に楽団参加を志願、トロイロの前で演奏して採用される
- 研究心、向上心の結果、トロイロの代わりにしばしば第一バンドネオンを託されるまでになる
- 並行してアルベルト・ヒナステーラに学び、やがてそれを生かしてトロイロ楽団の編曲も書くようになる
- 曲:インスピラシオン (ペレグリーノ・パウロス作曲、1910年代の古いタンゴ)
- アニバル・トロイロ楽団
- アストル・ピアソラ編曲
- 1943年録音
- 楽団メンバーとは軋轢、ピアソラのいたずら癖もあり、1944年トロイロはピアソラを解雇
歌のタンゴの名曲をたくさん作ったトロイロ
- 1940年代は歌のタンゴの時代
- それまでの楽団付き歌手はほんのワンフレーズを歌うのみ (エストリビージョ) → 人気の歌手の出現により楽団と歌手の関係が変化
- 1943年ラミレス大統領が俗語で書いた歌を放送禁止に → 優れた詩人が台頭:オメロ・マンシ、ホセ・マリア・コントゥルシ、エンリケ・カディカモら
- トロイロは多くの歌のタンゴを作曲
- 曲:スール (南) (アニバル・トロイロ作曲、オメロ・マンシ作詞)
- アニバル・トロイロ楽団
- 歌 エドムンド・リベロ
- 1948年録音
その後のトロイロとピアソラ
- トロイロ楽団のスタイルは重厚なものに変化しつつ、常に高い人気を維持
- 1950年代以降のピアソラの作品も多く演奏
- 亡くなる5年前の1970年、トロイロとピアソラの師弟バンドネオン二重奏が録音される
- 曲:エル・モティーボ (動機) (フアン・カルロス・コビアン作曲、パスクアル・コントゥルシ作詞)
- アニバル・トロイロ、アストル・ピアソラ
- 1970年録音
- トロイロ自身は酒とクスリで健康を害していたが、1975年に脳血栓で亡くなる直前までステージに立っていた
音源
上のメモで「曲」と書いたものに、今回はボーナストラックも追加しました。4はアニバル・トロイロ楽団の「アディオス・ノニーノ」、5~8はアストル・ピアソラがトロイロの訃報に接して書いた「トロイロ組曲」で、トロイロが愛した4つのもの、すなわち「バンドネオン」「シータ」 (トロイロの妻の愛称) 「ウィスキー」「ばくち」がタイトルになっています。
事後フォロー
放送後、マーシーさんがこの日の放送のツイートをブログにまとめて公開してくださいました。素晴らしい!ぜひ Tango en Tokio 5/16(日)第29回放送分ツイートまとめ もご参照ください。
そして、この中でも紹介されていますが、ワタクシ放送の中で間違いを言ってしまいました。
結局爆竹仕掛けたんかい、って話ではありますが…すみません。さらにこの件、西村秀人さんからの追加情報もいただきましたので、詳しくはぜひ上のツイートまとめをご参照ください。
あともう一点、「1943年ラミレス大統領が俗語で書いた歌を放送禁止に」というところで、マーシーさんが「ルンファルドですよね」と返してくれたのに対して「いえ、ルンファルドはその後も…ごにょごにょ」と否定するようなあいまいな返事をしてしまったのですが、禁止されたのはまごうことなきルンファルドでした。大変失礼しました。この件については例えば 大沢寛のタンゴ訳詩集 (日本タンゴアカデミー) の 「Los mareados」(酔いどれたち)の項 を参照してください。
というわけで、まだまだ知識があいまいなワタクシ、引き続き精進いたします。次回もお楽しみに!
卓球好き、音楽好きです。飲み食い好きが高じて料理もします。2024年ソニーグループ(株)を退職し、同年より(株)fcuro勤務のAIエンジニアです。アルゼンチンタンゴ等の音楽について雑誌に文章を書いたりすることもあります。
なお、当然ながら本サイトでの私の発言は私個人の見解であります。所属組織の方針や見解とは関係ありません (一応お約束)。
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