Viaje de Tango 第10回 コントゥルシ親子
まただいぶ遅くなってしまいましたが、2022年1月23日に放送された「Marcy & Magi の Tango en Tokio」の中のコーナー「吉村俊司の Viaje de Tango」第10回 コントゥルシ親子の特集の事前メモ公開です。タンゴ界に極めて重要な足跡を残した作詞家親子の特集でしたが、エピソード満載で特に息子のホセ・マリアの方が消化不良になってしまったのが非常に心残りでした。よって次回2022年2月20日にホセ・マリアについては改めて特集する予定です。
目次
楽曲と解説
今回の内容のかなりの部分は月刊ラティーナに西村秀人さんが書かれた「【連載】タンゴのうた 詩から見るタンゴの世界」という記事の、第2回 ミ・ノーチェ・トリステ (2018年3月号)、第3回 グリセール (2018年4月号) を参考にしました。またパスクアルの方の訳詩は大澤寛さん (後述) によるもの、ホセ・マリアの方の訳詩 (放送では紹介できなかったのですが) は上記記事の西村秀人さんによるものからさわりを抜粋しました。
パスクアル・コントゥルシ
- 1888年 ブエノスアイレス州チビルコイ生まれ、幼い頃に一家でブエノスアイレスへ
- 1916年、妻子ある身ながら、若い女性を追いかけてウルグアイのモンテビデオへ
- 既存のタンゴに自作の歌詞をつけてキャバレーで歌っていた
- 一時ブエノスアイレスに戻ったときにサムエル・カストリオータ作の「リタ」という曲を聴いて気に入り、モンテビデオに戻ってから詞をつけて「我が悲しみの夜」というタイトルで自分で歌う
- 追いかけた女性には振られていたのでパスクアルの心情そのものを歌った曲
- 歌ったキャバレーはラ・クンパルシータの作曲者ヘラルド・H・マトス・ロドリゲスの父が経営するムーラン・ルージュ
- 1917年、カルロス・ガルデルにこの曲を勧めたところ気に入り、ブエノスアイレスでレコーディング
- きちんとした詞のついたタンゴという意味では最初のタンゴ・カンシオン
- 実際にはそれ以前にも歌詞のついたタンゴはあったが内容的には自己紹介や自慢等
- ガルデルは「最初のタンゴ歌手」に
- きちんとした詞のついたタンゴという意味では最初のタンゴ・カンシオン
- 【曲】我が悲しみの夜 (カルロス・ガルデル)
- 俺の人生が一番良かった時に 俺を捨てていった女 俺の魂を傷つけ 心にとげを残したまま… おまえが俺の喜びであり 燃えたぎるような夢だということも みんな知っていながら
- 今回の音源は1930年の再録音
- 1918年、サイネーテ「犬の牙」にこの曲が使われて大ヒット
- 作曲者カストリオータはこの時まで自分の曲に詞がついて題名も変わっていることを知らなかった
- 1924年、エンリケ・マローニと共に「ラ・クンパルシータ」に詞をつけ「シ・スピエラ」として発表
- 【曲】ラ・クンパルシータ (カルロス・ガルデル)
- お前に判るかなあ 今も俺は心の中に 昔お前に抱いていた愛を温めていることを 俺が決してお前を忘れていないことを
- マトス・ロドリゲスは怒り、改めて自作の詞をつけ「ラ・クンパルシータ」として発表、曲のタイトルは取り戻したが、詞はコントゥルシ=マローニ版の方が広く歌われることに
- 【曲】ラ・クンパルシータ (アンヘル・ダゴスティーノ楽団、歌アンヘル・バルガス)
- 終わりのない惨めさが 行列を作って あの病んだ男の周りを 躍り狂っている その男はもうすぐに 苦しんで死ぬんだ
- マトス・ロドリゲスの歌詞を歌った例
- その後パスクアルはパリに渡るが、晩年は精神を病み、友人たちによってブエノスアイレスに戻されるも1932年死去
ホセ・マリア・コントゥルシ
- 1911年ブエノスアイレス生まれ
- 父の死後作詞活動を開始、またラジオアナウンサーとしても活躍
- ルンファルドは極力使わない
- 1943年にルンファルド禁止令が出たタイミングとも活躍の時期は重なり、時代の要請にマッチしていた
- 1935年、コルドバからラジオの公開収録を見に来た15歳のグリセールと出会い、その美しさに一目惚れ
- ホセ・マリアは少し前に結婚して娘も生まれていた
- 3年後の1938年、ホセ・マリアは腸炎を患い、医者からコルドバの山での静養を勧められる
→ 家族を置いてコルドバに赴き、グリセールと恋に落ちる - 腸炎が治った後、最終的には妻のもとに戻る
- この頃から綴った詞が優れた曲を得て大ヒット
- 「もう一度会いたい」「我が人生のすべて」「灰色の午後」等
- 内容はグリセールへの想いを綴ったものとされる
- 1943年「グリセール」発表
- 作曲はマリアーノ・モーレス
- 【曲】グリセール (オラシオ・モリーナ)
- 君の心を手に入れようなんて 決して考えるべきではなかったのだ でも私は君を探してしまった … (中略) 私のすべての人生は偽りだったのだ!私のグリセールよ、どうしているのか 神の掟は果たされた もう罪は報われたのだから 君にこんな苦しみを与えたのだから
- オラシオ・モリーナは1960年代にボサノバやボレロを歌う歌手としてデビュー、1975年からタンゴを歌うようになり、その後ヨーロッパでも活躍
- 娘はアルゼンチン音響派と呼ばれるジャンルで活躍するフアナ・モリーナ
- 続けて「君が私を思い出すたびに」「クリスタル」(モーレス曲)「君去りし夜」(ミゲル・カロー、オスマル・マデルナ曲) 発表
- 1949年、グリセールは地元の男性と結婚し一女をもうける
- 1950年、ホセ・マリアは妻のアリーナに捧げて「ジャスミンのような君の肌」発表 (モーレス曲)
- 1955年、妻アリーナが癌で死去、同年ペロン大統領失脚、ホセ・マリアは酒に溺れ創作活動からも離れる
- 1962年、ホセ・マリアの状況を知ったグリセールはブエノスアイレスへ
- 結婚相手はすぐに彼女のもとを去ってしまい、事実上独身だった
- ホセ・マリアはコルドバに移住して1967年に2人は結婚
- ホセ・マリア56歳、グリセール47歳
- 5年後の1972年にホセ・マリア死去、グリセールは1994年に死去
- 【曲】君が私を思い出すたびに カダ・ベス・ケ・メ・レクエルデス (歌Sayaca、ピアノ ディエゴ・スキーシー)
- まだ私のものだった君の心に、灰色の亡霊のように夏がやってくる 少しずつ君は巻き込まれていき、少しずつ君は去っていく 君がやって来た時、君の愛が大きなものであれば 君が去ったときの苦悩はもっと大きい
- Sayaca さんのお父様が大澤寛さん
- 日本タンゴアカデミーの会員向けに大澤寛さんの訳詩集が出版された
- 会員以外の方で入手を希望される場合は実費で頒布可能とのこと
音源
例によって Spotify のプレイリストにまとめました。次回ホセ・マリアの仕切り直しが予定されているので今回は放送で使用したもののみになります。
放送後のこと、お知らせなど
上述の大澤寛さんによるタンゴ訳詞集の実物は下記のようなものです。
そしてなんと、ここから話は発展、タンゴ・エン・トキオに新コーナー爆誕です!
さて、最後にいつものお知らせです。コマラジには番組サポーターという制度があって、一部の番組については月額550円で応援することができます。「Tango en Tokio」もそのシステムの対象で、サポーターになると過去に放送されたアーカイブが聴き放題なんです (特典は番組によって異なります)。今から登録しても、過去に私が出た回も聴けます。というわけで、これを機会にこの番組を応援してみようかな、という気分になった方がいらっしゃいましたら、ぜひ募集ページ 集まれー!コマラジ番組サポーター をのぞいてみてください。
そこまではまだ決心がつかない、という方は、ぜひ次回放送を聴いてみてください。番組自体は毎週日曜正午からやってますので、思い立ったらぜひ直近の日曜に。聴き方についてはマーシーさんのブログの「ラジオの聴き方」をご参照ください。
卓球好き、音楽好きです。飲み食い好きが高じて料理もします。2024年ソニーグループ(株)を退職し、同年より(株)fcuro勤務のAIエンジニアです。アルゼンチンタンゴ等の音楽について雑誌に文章を書いたりすることもあります。
なお、当然ながら本サイトでの私の発言は私個人の見解であります。所属組織の方針や見解とは関係ありません (一応お約束)。
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