私のラジオ遍歴 (1)
BCL ネタが Facebook の友人を中心に結構ウケたのに味をしめて、当時私がどんなラジオを使っていたのかを紹介しようと思います。
(何年頃の話かについて誤認があったので訂正・追記しました)。
目次
中波で BCL に目覚める~ラジカセ、ステレオ
海外の放送が日本でも聴こえて、受信報告書を送るとベリカードというものがもらえる、と知ったのは、どうやら1973 1974年頃、私が小学4 5年生の頃だったようです。その少し前から電子工作に目覚めて『初歩のラジオ』(誠文堂新光社) や『ラジオの製作』(電波新聞社) といった雑誌を読み始めたところ、BCL (Broadcasting Listener) に関する記事が掲載されており、心を奪われたのでした。
当時はまだ短波ラジオを持っていませんでしたが、中波でも海外の日本語放送が聴けたのです。特に札幌では極東の中継所から送信されるモスクワ放送がほとんどローカル放送並みのクリアさで聴けましたし、他に北京放送、ラジオ韓国、朝鮮中央放送等がコンスタントに聴けました。もはや型番など覚えていないラジカセやステレオのラジオ部が当時の私の受信機でした。
どうしても短波が聞きたい~自作2石ラジオ
最初は中波で海外放送を聴いて興奮したものの、聞こえる放送局には限りがあるのでマンネリ化してきます。やはりどうしても短波が聴きたい。
じゃあ作ろう!ってことで作っちゃいました。『初歩のラジオ』に「1石ラジオ製作シリーズ」(泉弘志) という記事が連載されていたのですが、ちょうど「簡易型1石・再生式 短波ラジオ」の記事があり、これに挑戦したのでした。実は記事のスクラップがまだ手元にあります。
調べたら1973年12月号だったようです (→ 国会図書館サーチの結果)。すぐに作ったかどうかは定かではありませんが、1974年にはこれで短波を聴き始めたはずです。実際に作ったのはしばらく経ってからで、1974年末~75年初頭だったようです (後述)。
ただ、製作記事そのままでは如何せん感度が悪くてごく近距離の放送しか聞こえません (そういう趣旨の記事でしたので当然ですが)。これでは中波を聴いているのと大して変わらない…という訳で、後ろにトランジスタ1石のアンプを追加し、2石ラジオに改造しました。効果はてきめん!それまでとは比べ物にならない程の放送局が聞こえるようになりました。そうなると今度は操作性にいろいろ不満が出て来たので、金属ケースに入れてダイヤルをバーニャダイヤルという微動機構が付いたものに交換して、だいぶ本格的なものへとバージョンアップ。とはいえ所詮はトランジスタ2石。少ない素子で感度と選択度をアップするための工夫がなされた回路 (検波・増幅回路に正帰還をかけて発振寸前の状態にすることで同調回路の Q を上げる、というもの) で、それと引き替えに受信中も微妙な調節が必要だったので、ものすごい集中力でラジオを聴いていました。
手元にあるベリカードのうち短波を受信したものの中で一番古いのが1975年2月22日付だったので、1974年末~75年初頭に1石バージョンを作って、75年2月頃に改造版が出来たのだと思います。
頑張った甲斐あって、ラジオ・オーストラリアや以前ベリレターを紹介したベトナムの声等のアジア、オセアニアの放送局はもちろん、アメリカやヨーロッパ、果てはエクアドルのアンデスの声までもこの2石ラジオで聴いてベリカードを入手したのでした。
つづく…
卓球好き、音楽好きです。飲み食い好きが高じて料理もします。2024年ソニーグループ(株)を退職し、同年より(株)fcuro勤務のAIエンジニアです。アルゼンチンタンゴ等の音楽について雑誌に文章を書いたりすることもあります。
なお、当然ながら本サイトでの私の発言は私個人の見解であります。所属組織の方針や見解とは関係ありません (一応お約束)。
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