ピンポンさん(城島充・著)

1954年、ロンドンでの卓球世界選手権・団体戦予選リーグの対ハンガリー戦。

 荻村がシドと向き合ったのは、日本チームが四対二と大金星に大手をかけた局面だった。
 試合前、荻村はベンチにいた女子代表の江口冨士江に向かって言った。
「おい、江口、今からあいつのどてっ腹にノータッチでスマッシュをたたき込んでやるから、何発たたきこめたか、しっかり数えていてくれ」

こんな芝居がかったせりふを吐き、しかも本当に12本ものノータッチエースを決めた男がいる。
日本代表の強化合宿で、二千本以上続いたラリーが途切れた後、

 荻村が歩み寄った。
 固唾をのんで二人のラリーを見守っていた他の選手たちは、荻村が倒れ込んだ後輩に手を差し出すのかと思った。だが、右手に握り締めていたタオルを力いっぱい床に投げつけた荻村は、汗まみれになって倒れている後輩を見おろしながら、こう言い放った。
「この意気地なしが……」
 非情としか映らない行動と言葉をとがめた女子選手に、荻村は「俺はもっと自分の限界に挑戦したかったんだ。情けない……」とだけ言った。

自分にも他人にも常に厳しく、自我をむき出しにしてライバルへの対抗心を燃やした男がいる。
何年も後、自分を育ててくれた卓球場の40周年の記念として

天界からこの蒼い惑星の
いちばんあたたかく緑なる点を探すと
武蔵野卓球場が見つかるかもしれない

こんなフレーズで始まるロマンチックな詩を、卓球場とその主に贈った男がいる。
そのどれもが荻村伊知朗なのだ。誰よりも強くなるための努力を惜しまず、1950年代半ばからの日本卓球の黄金時代を築いた名選手であり、現役引退後は日本卓球の強化から、ピンポン外交の立役者となり、国際卓球連盟の会長職までを勤めた男である。この本には、そんな荻村伊知朗の生涯が綴られている。
この本のもう一人の主人公は、三番目に引用した詩が贈られた卓球場の女主人、上原久枝である。荻村から「おばさん」と慕われ、時には衝突しながらも荻村の人生を傍らから見守ったこの女性がいなかったら、荻村は強烈な自我を持て余したただの変人で終わっていたかもしれない。
スポーツノンフィクションとして、出色の作品である。荻村のあまりに強烈な人間性と久枝の暖かさを感じるためには、卓球のことがわからなくても全く問題ない。ぜひ多くの人に読んでほしい作品。
折りしも横浜で、荻村の名を冠した卓球大会「フォルクスワーゲンオープン・ジャパン 荻村杯2008」が開幕。昨今の卓球人気からテレビ東京でも放送される。これで荻村の名を知った人も、ぜひその人となりをこの本で感じてほしい。

ピンポンさん (Journal labo)(城島 充)

[Posted on 2008-05-21]

ピンポンさん(城島充・著)” に対して2件のコメントがあります。

  1. 泉野正人 より:

    よしむらさん 相変わらず文章が旨い!巧い!!せめて僕も上手くなりたいです!!!

  2. よしむら より:

    何をおっしゃいますやら泉野さん…。

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