タンゴとは踊られる悲しい思考である~ディセポロの言葉を調べてみたらサバトを経由してボルヘスに到達してしまった話
目次
ディセポロの言葉
エンリケ・サントス・ディセポロという人がいます。1901年生まれで、タンゴの作詞・作曲家として数々の名曲を世に送り出し、また俳優、劇作家、脚本家、映画監督としても活躍しながら、1951年に若くして亡くなっています。
この人が「タンゴは踊ることのできる悲しみだ」と言ったらしい、という話を先日ツイッターで友人がつぶやいていました。
この言葉、名言っぽいのに私は知りませんでした。という訳で今回はこの言葉について調べてみた、というお話です。当初は軽く出典探ししてみるだけのつもりだったのですが、そこから興味深いエピソードを見つけて深みにはまり、想定外の大作記事になってしまいました。長いですがよろしければお付き合いください。また、スペイン語を系統立てて勉強していない者が機会翻訳の力を借りてスペイン語の翻訳を載せる、ということをしていますので、当然誤りもあるかと思います。お気付きの点などありましたらコメントやメッセージにて適宜ご指摘頂けるとありがたいです。
出典はエルネスト・サバトの著作?
まずは出典探し。「タンゴは踊ることのできる悲しみである」を日本語で検索してみたのですが、引っかかったのはエクスペディアの セニョールタンゴのタンゴショー の紹介位でした。そこでスペイン語でひとまず知ってる単語を並べて “tango triste baile discepolo” (タンゴ 悲しみ 踊り ディセポロ) で検索してみると…今度はたくさん引っかかりました。上位にあったのはこちら。
- «El tango», tristeza que se baila
- Apostillas sobre “el pensamiento triste que se baila”
- El tango, un pensamiento triste que se baila
Google 翻訳や DeepL で英語、日本語に翻訳しなが読んでみると、該当する言葉はディセポロがタンゴに与えた定義で、スペイン語では
un pensamiento triste que se baila
がその言葉のようです。tristeza (悲しみ) ではなく pensamiento triste (悲しい考え、悲しい思考) なのですね。que se baila も「踊ることのできる」というよりは「踊られる」でしょうか。とすると逐語的に訳せば
タンゴとは、踊られる悲しい思考である
となるかと思います。日本語としては「踊ることのできる悲しみ」の方がしっくり来ますが、pensamiento がこの後意味を持ってくるので、今回の私の記事では以後上記の訳を使います。
出典については、各記事をざっと流し読みした感じではそれらしい情報は見つけられず (実は後からあったことを知るのですが)、一方でホルヘ・ルイス・ボルヘスやエルネスト・サバトといったアルゼンチンの作家の名前が目に止まります。
とりあえずスペイン語での正しいフレーズがわかったので、これを元に改めて検索し、紆余曲折の末たどり着いたのがスペイン語版 Wikipedia の Tango の項でした。
El tango revolucionó el baile popular introduciendo una danza sensual con pareja abrazada que propone una profunda relación emocional de cada persona con su propio cuerpo y de los cuerpos de los bailarines entre sí. Refiriéndose a esa relación, Enrique Santos Discépolo, uno de sus máximos poetas, definió al tango como «un pensamiento triste que se baila».[9]
Tango (Wikipedia)
ここに [9]と出典らしきものが参照されているではありませんか。たどってみると下記の記述がありました。
[9] Ernesto Sabato: Tango: discusión y clave (pág. 11). Buenos Aires: Losada, 1963.ディセポロの名前の何かを期待したのですが、エルネスト・サバトの著作が出典になっています。ということはディセポロが書いた文章や歌詞等にはこの言葉はない、ということでしょうか。その辺の詳細はこの本を読んでみるしかなさそうです。残念ながら日本語に翻訳はされていないようなので、ここはひとつ原書を取り寄せて根性で読んでみるかなぁ…。
ちなみに上記の Wikipedia の文ですが、DeepL で日本語や英語に翻訳したものをベースに自分なりに日本語にすると (以下のスペイン語のテキストに対する訳も同様) こんな感じでしょうか。
タンゴは、抱擁するカップルによる官能的なダンスの導入によってポピュラーダンスに革命を起こした。その抱擁は自身の身体や踊り手それぞれの互いの身体の深い感情的な関係をもたらす。このような関係を指して、タンゴの偉大な詩人の一人であるエンリケ・サントス・ディセポロは、タンゴを「踊られる悲しい思考」と定義した。
上記引用文を DeepL を参考によしむらが訳
なーんとなくわかるような気もします。
「踊られる悲しい思考」へのアポスティーユ
上述のように、スペイン語で検索して見つかった web ページにはボルヘスやサバトの名前があり、一方で Wikipedia において出典とされる文を書いた人としてサバトの名前が挙がりました。そこで、改めて最初に見つけた web ページを読んでみたところ、特に2番目のページ
Apostillas sobre “el pensamiento triste que se baila”
の内容が非常に興味深いものであることがわかりました。以下はこちらについて紹介したいと思います。
本題に入る前にひとつ。機械翻訳では apostillas はアポスティーユと訳されたのですが、そもそもこの言葉をよく知らないので調べてみました。
アポスティーユ (Apostille) とは、日本の公文書を外国の官公庁に提出する際に必要とされる、〝その書類が確かに日本の公的機関から認証されて発行された公文書である〟ことを証明する付箋による証明を指します。
アポスティーユの申請方法 | アポスティーユの認証が必要なケースとは?
一般的な用語なのでしょうかね?多分ここでは「踊られる悲しい思考」が誰の言葉であるかの証明というような意味かと思われます (もしくは単に「注記」「注釈」の意味かもしれません)。
さて、この文章はアルゼンチンの作家、フェルナンド・ソレンティーノによるものです。カルロス・アルベルト・ビジェガス・ウリベという人が「音楽、映画、文学(ツグミの物語)」という記事の中で、件の言葉がホルヘ・ルイス・ボルヘスのものであるという「グロテスクな誤り」があることを指摘しているそうで、ソレンティーノはそれを受けてこの言葉に関するいくつかのエピソードを紹介しています。
まず最初に、この言葉がボルヘスではなくディセポロのものであるということを述べています。
Según parece, esa definición del tango se debe al multifacético Enrique Santos Discépolo (1901-1951), que supo cursar con eficacia y talento las funciones de músico, actor, autor teatral, guionista y director cinematográfico…
このようなタンゴの定義は、音楽家、俳優、劇作家、脚本家、映画監督の役割を効率的かつ才能豊かにこなした多才なエンリケ・サントス・ディセポロ (1901-1951) によるものだと思われる…
Apostillas sobre “el pensamiento triste que se baila” より (訳は DeepL を参考によしむらが作成)
“Según parece” (だと思われる) なのですね。やはり断定できる材料はないのでしょうか。
そして、「サバトとディセポロ」と題した章で例のサバトの著作 “Tango: discusión y clave” (タンゴ:議論と鍵) に言及し、その記述を引用しています (原書を取り寄せなくてもここにあった!)。
La página 9 registra la bella dedicatoria que Sábato ofrendó a Borges. La 11, esta opinión del autor:
Este baile ha sido sucesivamente reprobado, ensalzado, satirizado y analizado.
Pero Enrique Santos Discépolo, su creador máximo, da lo que yo creo la definición más entrañable y exacta: “Es un pensamiento triste que se baila”.
9ページには、サバトからボルヘスへの美しい献辞が述べられている。11ページには著者のこの意見がある:
このダンスは、次々と非難され、賞賛され、風刺され、分析されてきました。
しかし、その最大の生みの親であるエンリケ・サントス・ディセポロは、私が最も愛すべき正確な定義をしています:”それは踊られる悲しい思考である”。
Apostillas sobre “el pensamiento triste que se baila” より (訳は DeepL を参考によしむらが作成)
サバトの著作を引用した箇所の引用なのでちょっとややこしいですが、イタリックの部分がサバトの著作での記述です。サバトは明確にディセポロによる定義であるとしているのですね (にもかかわらずソレンティーノが「だと思われる」と書いたのはサバトが明言した根拠を確認する術がないということでしょうか…)。
どうやら出典問題については、今ある材料では私にはこの辺が限界のようです。明確な答えには至りませんでしたが、サバトの著作にまで辿り着けたことで一定の成果としたいと思います。
そのかわり非常に興味深いエピソードがありました。「ディセポロ、サバト、そしてボルヘス」と題した章で引用されている、1970~71年にソレンティーノがボルヘスに行ったインタビューがそれです。このインタビューは “Siete conversaciones con Jorge Luis Borges” (ボルヘスとの七つの会話) として刊行されており、最新刊は Editorial Losada (Buenos Aires, 2007) とのこと。ここからの引用を訳してみます (長いので訳のみ載せます)。F.S. はフェルナンド・ソレンティーノ、J.L.B. はホルヘ・ルイス・ボルヘスです。
F.S.: サバトが彼の本でタンゴについてあなたに送った献辞は読みましたか?
J.L.B.: はい、ありがたいことでした…でも彼がなぜあんなおかしな言葉をあの本で引用したのかがよくわからないのです…とても奇妙で私は困惑しました。きっとあれは人生で一度もタンゴなんて聴いたことがない人の書いた言葉なのでしょう。彼は言います。「タンゴとは踊られる悲しい思考である」と。まず第一に私は、音楽とは思考からではなく感情から生まれるものであると信じています。そして悲しみということについては、タンゴを一度も聴いたことのない人の書いたことに思えます。何故なら、例えばタンゴ・ミロンガと呼ばれる音楽は、愉快で勇気付けられる音楽ではありませんか。そして踊られるということについては、私は場合によるかと思います。例えば人が通りを歩きながら「エル・チョクロ」や「エル・マルネ」を口笛で吹いていたとしたら、我々は彼が踊っているのではなく口笛を吹いていると認識しますよね。さて、彼はどこであのフレーズを見つけてきたのやら。
F.S.: あれはディセポロによるタンゴの定義ですよ。
J.L.B.: なるほど、それで全ての説明がつく。それはディセポロの言葉だからだ!あなたは謎を解明してくれました。なぜなら、あの言葉を読んだとき、私は「このフレーズはタンゴと全く関係のない人が作ったものだろう」と思ったからです。
F.S.: さて…実際のところこれはとても有名な言葉で…
J.L.B.: 何故でしょうね。
F.S.: そうですね…ラジオのおかげかもしれません。
J.L.B.: ハハハ!でもいずれにせよ、ディセポロはラジオの発明者ではないでしょうね。そして何より、悲しみということが私にとっては最も奇妙なことに思えるのです。私が、タンゴは陽気であり大抵は勇ましくて伊達で (例えば「アルゼンチンのアパッチ」) 悲しみとは無縁だと言うとき、それはその伊達男たちが悲しみを感じないという意味ではなく、彼らはそれを告白するのを恥じている、という意味なのです。彼らは例えば女性に愛されないと文句を言ったりはしないということです。porque eso hubiera pasado por una mariconería
Apostillas sobre “el pensamiento triste que se baila” に引用された “Siete conversaciones con Jorge Luis Borges” p,206-207 を、DeepL を参考によしむらが訳
最後の一文は訳しませんでした。同性愛者を引き合いに男らしさを強調するような表現と思ってください (とても単純な文ですが日本語化には悩み、結局本質的でない部分に時間をかけるのは無駄だと判断しました)。
さて、ボルヘスの言うことはかなり無茶な言い分に聞こえます。おそらく彼自身に「タンゴはこうあるべき」という強い思い込みがあるのでしょう。それはごく初期の古典タンゴの世界に関する彼自身の解釈、さらには古のマチスモに満ちたブエノスアイレスへの郷愁が元になっているのではないかと思います。
実際のタンゴはダンスを起源としているのは紛れもない事実ですし、また少なくとも20世紀初頭以降の数多くのタンゴには悲しみが込められています。確かに悲しみを内に秘めて意気がる伊達男の世界もありますが、振られて悲嘆に暮れる男や女の世界もまたしっかりと存在しています。思考ではなく感情が音楽を生み出すという指摘はある意味正論ですが、件の言葉に向けてということであればむしろ言いがかりに近いもので、まさにボルヘスこそが自身の凝り固まった思考でタンゴを規定しているようにも見えます。
一方で、そもそもこのボルヘスの意見の最初の部分に奇妙な点が見られます。それはサバトの著作を読んでこの言葉を知ったと言っていながら、それがディセポロの言葉だということを知らなかった、という点です。上に引用したようにサバトは明確にディセポロによるタンゴの定義としてこのフレーズを紹介しているにもかかわらず、なのです。ソレンティーノはこの点について「彼は間違いなくこのフレーズがディセポロのものだと知っていたはずだ」「よろしい、では聞くが、ご丁寧に2つの名前と姓 (注:エンリケ・サントスという2つの名前とディセポロという姓を指すものと思われる) が書かれているのを見ずに、どうして彼はこの文章を読んだのだろうか?」と述べています。もっとも、1950年代末にはボルヘスはほとんど視力を失っていたそうで (→ Wikipedia ホルヘ・ルイス・ボルヘス) サバトの著作も他の人に読んでもらって耳で聴いたはずなので、この点についてはボルヘスにも弁明の余地はあるかもしれません。
さらにソレンティーノは、ボルヘスのディセポロに対する反感の理由のひとつに政治的なものがあったことも示唆しています。ディセポロがフアン・ドミンゴ・ペロン大統領の最初の2期 (1946~1955) に支持を表明していたことがその理由です。上記の Wikipedia の記述を見てもボルヘスがペロンに強い反感を抱いていたことがわかりますので、親ペロンのディセポロもまたボルヘスにとっては反感の対象だったということなのでしょう。それにしても、いかにボルヘスが反感を持っていたとしても、ディセポロがタンゴに全く関係がなかったと言い切るのは無理があります。ソレンティーノも「それはまるで、リオネル・メッシがサッカー界と無縁だ、と言うようなものだ」と述べています。
実はピアソラがボルヘスのテキストに音楽をつけた大作『エル・タンゴ』(1965年) でも似たような話がありました。
私にとって、彼のような世界的なスケールの大物と一緒に仕事ができることは、本当に名誉だった。いろいろと意見が対立するようになったのは、アルバムが発売されてからだ。ボルヘスは、私がタンゴをわかっていないと言い出したので、私も、彼は音楽のことなど何も知らないと言い返してやった。(中略) 彼の作品以上に美しい詩を、私は読んだことがない。だが、こと音楽となると、ボルヘスは耳が聞こえなかったのだ。
『ピアソラ 自身を語る』ナタリオ・ゴリン 著、斎藤充正 訳、河出書房新社 (p.104-105)
このエピソードを最初に読んだときは「ふーん、そんなものか」と思ったものですが、今回のディセポロの件を知ってから改めて読むとすごく納得感があります。
という訳で私の中での結論:
ボルヘスって結構嫌なヤツ (身も蓋もない)
関連する音楽
さて、ここまでの話を話だけで納得してしまうとボルヘスの二の舞ですので、関連する音楽をまとめておきます。まずはボルヘスが言及したタンゴと、ディセポロの作品、そしてエルネスト・サバトに関連する作品。
1~3はボルヘスの言葉の中に出現したタンゴで、1「エル・チョクロ」はアンヘル・ビジョルド作曲、ロベルト・フィルポ四重奏団の演奏、2「エル・マルネ」はエドゥアルド・アローラス作曲、フランシスコ・カナロ指揮ピリンチョ五重奏団の演奏、3「アルゼンチンのアパッチ」はマヌエル・アロステギ作曲、アドルフォ・ペレス・”ボチョーロ”楽団の演奏です。録音は1930~50年代ながら1900~10年代の古典タンゴの時代の雰囲気を再現したスタイルの演奏を選んでみました。演奏技術は当時よりはるかに高いので、当時の演奏そのままという訳ではありませんが、ボルヘスのイメージするタンゴの世界に近いのではないかと思います。
4~7はディセポロの作品。4「ジーラ・ジーラ」5「古道具屋」は作詞・作曲ともディセポロで前者はカルロス・ガルデルの歌、後者はフリオ・ソーサの歌、6「ウノ」はディセポロ作詞、マリアーノ・モレス作曲でアニバル・トロイロ楽団に歌手アルベルト・マリーノ、7「エル・チョクロ」は再度の登場で曲の成立よりずっと後の1948年にディセポロが詞をつけたものをティタ・メレーロが歌っています (ボルヘスお気に入りの曲にディセポロが歌詞、というのも面白い状況です)。いずれも歌詞が重要で、シニカルだったり厭世的だったり哲学的だったりするので、機会があったら探して読んでみてください。
8、9はエルネスト・サバトにゆかりの曲。がらっと雰囲気が変わります。8「英雄たちと墓へのイントロダクション」はピアソラがサバトの小説「英雄たちと墓」の舞踏音楽化を試みた際の序曲で (舞踏音楽としては未完) 演奏はアストル・ピアソラ新八重奏団、9「エルネスト・サバトに捧ぐ」はレオポルド・フェデリコ、ラウル・ガレーロ、ロベルト・グレーラがサバトに捧げて書いた曲で演奏はフェデリコとグレーラの二重奏です。
サバトと言えばこれも忘れられません。1975年に名だたるミュージシャンを集めて制作されたフリオ・デ・カロに捧げるアルバムの最後に収録された「去って行ったブエノスアイレスに捧ぐ」。ここではルイス・スタソのバンドネオン、ロベルト・グレラのギター、オマール・ムルタのコントラバスをバックにサバト自身が詩を朗読しています。曲はフリオ・デ・カロ自身の作。ノスタルジーの極みの内容にサバトの渋い声がぴったりです。レコード会社が消滅してしまったのでサブスクには上がっていませんが、YouTube を探したら見つかりました。
そして最後に言及した、ボルヘスのテキストにピアソラが音楽をつけた『エル・タンゴ』。アルバム全編まとめてどうぞ。これも Spotify にはなかったので YouTube で。Spotify にありました!アーティスト名が Quinteto Nuevo Tango になっていたせいで見落としていました。実際には1~4は五重奏ですが、5と6は大編成オーケストラ、組曲の7は12人編成のアンサンブルです。
せっかく貼ったので YouTube のリンクも残しておきます。
なお、上記のアルバム “El tango” はピアソラ生誕100年を記念して最近日本盤 CD がリリースされました。詞の内容等を理解する上では CD のライナーノートは非常に参考になりますので、ぜひ入手を検討してみてください。
以上、最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。
卓球好き、音楽好きです。飲み食い好きが高じて料理もします。2024年ソニーグループ(株)を退職し、同年より(株)fcuro勤務のAIエンジニアです。アルゼンチンタンゴ等の音楽について雑誌に文章を書いたりすることもあります。
なお、当然ながら本サイトでの私の発言は私個人の見解であります。所属組織の方針や見解とは関係ありません (一応お約束)。
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私が最初にこの言葉を見たのはアルゼンチン Torres Agüero Editorが出した Cancionero – Enrique Santos Discépolo (1985)というポケットブックの歌詞集でした(このシリーズにはオメロ・マンシ、カディカモ、カスティージョなど主だった作詞家の歌詞集があり、日本にもある程度輸入されていました。)
https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=Torres%20Ag%C3%BCero%20Editor%20Discepolo&fr=top_ga1_sa&ei=UTF-8&ts=4029&aq=-1&ai=f01cfc86-9537-4982-94eb-b703e30db3f7#7da228e1bba8e82410ca48869b8c01b6
この歌詞集の後半にAlgunas palabras de Discepolínというコーナーがあり、そこに El tango argentino es un pensamiento triste que se puede bailarと載っています。これだとpuedeが入っているので「踊ることが出来る(踊られうる)」で少しニュアンス違いますが...出典はありません。おそらくディセポロがラジオでしゃべったフレーズの可能性が高いと思います。晩年にかけてディセポロはラジオ番組を持っていました。
あと、ボルヘスは嫌いな人を「知らない」ことにするくせがあったようです。ディセポロが嫌いなので、その言葉であることを知ってて知らないふりをした可能性があります(相当面倒くさい人だったことは確かなようです)。以前ボルヘスが上智大学を訪れた時、ピアソラについて訊かれ「そんな奴は知らん」と言ったエピソードももあります。
コメントありがとうございます!また承認が遅れてしまい、しばらく表示されていませんでした。申し訳ありません。
なるほど、ラジオで話した言葉らしいと。出典として本人の書いたものがないことも、表現にぶれがあることも、それなら説明がつきますね。ソレンティーノの「ラジオのおかげ」というのもそれを指していたのかもしれません。
ボルヘスの面倒くささについては今回調べてだいぶ実感しました(笑)
どうもありがとうございました!
“El tango” の音源が Spotify にあったのでそちらのリンクを追加しました。