私のラジオ遍歴 (3)
前回は父が突然買ってきてくれたナショナルのクーガ No.7 でますます BCL にのめり込みつつ、受信周波酢の上限が12MHzであることについては密かに残念に思っていた、という話でした。今回はその上限を突破し、周波数直読という武器も装備した新しいラジオを手に入れた話です。
目次
本格的 BCL ラジオ、クーガー2200
♪ビーシーエールラジーオー ナショナルクーガー にーにーまるまるー♪
っていう CM があったのですが覚えてる方いらっしゃいますか?ちなみに私は上記の歌だけが記憶にあり、他は覚えていないのですが。
とにかく、12MHz より上の周波数を聴きたい!という気持ちが日に日に募っていった私。既に現役引退していた自作2石ラジオを再び引っ張り出して、コイルの巻き数を減らしてみたりもしたような記憶があります。
一方メーカー製ラジオの方は、1975年にソニーがスカイセンサー5900を発売、翌76年にナショナルがクーガー2200を発売。どちらもダブルスーパーヘテロダイン方式を採用し、受信周波数の5kHz精度での直読を実現していました。
で、買っちゃいました。ナショナルの方を。今回も大体こんなやつというラフなイメージ。
詳しいスペックとかちゃんとした写真とかは、例えばこちらのページをご参照ください。
実は正直などころ、(1) なぜソニーではなくナショナルを選んだのか、(2) お金はどうしたのか、(3) いつ買ったのか、といった辺りが全部記憶から抜け落ちてしまっています。おそらく(1) は後発のこちらの方がスペック的に良いと判断したから、(2) はそう間髪入れずにまた買ってもらえるほど甘くはなかったはずなので、お年玉か何かでどうにかした (とはいえそれなりのお値段だったので援助してもらったかも)、(3) はもらったベリカード等から推測するに1976年7~8月頃、と思われます。
(3) の根拠となったのはラジオ・ブダペストのベリカード。
17.715MHz は自作ラジオではさすがに厳しかったと思うので、これを聴いた1976年8月13日には既にクーガー2200を持っていた可能性が高いと判断しました。とはいえ2200発売前の1975年に15MHz帯を受信したことを証明するカードも持っていたので、自作ラジオ説が完全に否定された訳ではないですが。
いずれにせよ、このラジオの購入でさらにマニア度に拍車をかけることになったのは当然の帰結。欧米各国の海外向け放送だけでは飽き足らず、南米の国内向け放送等もターゲットにして日々ラジオにかじりついていました。
実はさらにその先が…
私のメーカー製の BCL ラジオに関する遍歴はここまで。この後登場するデジタル周波数カウンター搭載機種には手を出しませんでした。
しかし、時代に逆行する形でもう1台ラジオ (と言うか受信機) を手にします。キーワードは真空管。次回、ラジオ遍歴完結編!
卓球好き、音楽好きです。飲み食い好きが高じて料理もします。2024年ソニーグループ(株)を退職し、同年より(株)fcuro勤務のAIエンジニアです。アルゼンチンタンゴ等の音楽について雑誌に文章を書いたりすることもあります。
なお、当然ながら本サイトでの私の発言は私個人の見解であります。所属組織の方針や見解とは関係ありません (一応お約束)。
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