今回は、ピアソラが大いに触発されて、前回のテーマにも掲げた「500の動機」を作曲する契機となったリターン・トゥ・フォーエヴァーというグループのことを中心に、チック・コリアのことを書いてみます。
諸々の事情から、この項は2回に分けます(要は書き上がらないうちに予定の日付けを過ぎてしまったのでした)。今回はチック関連の個人的な体験と、チックの略歴、リターン・トゥ・フォーエヴァーのアルバム紹介の前編、という内容です。
1980年のライブ・アンダー・ザ・スカイのタダ券を父の友人からもらったのが始まりでした。東京では田園コロシアムで行われていた頃ですね。私は札幌在住の高校生だったので、真駒内屋外競技場というところ(札幌オリンピックでスピードスケートが行われた場所)でのライブに行ったのです。出演はCHICK COREA ALL STARS VS. STANLEY CLARKE QUARTET。「VS.」ってところがなんとも大仰ですな。とにかく、タンゴから徐々に他の音楽にも目を向け始めたころのことで(そう、私の場合、先にタンゴがあったのです)、チック・コリアについてもスタンリー・クラークについても全く予備知識を持っていなかったのですが…なんだこの複雑で技巧的ですさまじい音楽は?ということで、強烈な刺激を受けてしまったのです。以来、どうもジャズ、ロック系は技巧的なものを好む傾向ができてしまったようです。
続いては一浪生活を終えて上京したばかりの1983年春。チック・コリア(pf, key)、スタンリー・クラーク(b)、アル・ディ・メオラ(g)、レニー・ホワイト(ds, perc)というメンバーの第2期リターン・トゥ・フォーエヴァーの再結成ツアーがあったのです。既にフュージョンについてはだいぶ親しんでいたものの、リターン・トゥ・フォーエヴァーについては名前しか知らなかったのですが、メンバーの凄さを見て迷わず行くことにしました(よみうりランドEASTの柿落とし公演)。これがまた素晴らしかった。アコースティックな編成での音の美しさ、エレクトリックな編成でのすさまじいパワー、複雑で緻密な曲の構成と超絶技巧を駆使した各人のソロのすごさ、その中で垣間見せるユーモア、と、まあとにかく圧倒されまくった体験でした。
三度目の体験は1986年1月のTOKYO MUSIC JOYです。この中でチック・コリア・ナイトというのがあって、アルバム・デビュー前のチック・コリア・エレクトリック・バンドが登場したのです。バンド形態の活動をしばらく行っていなかったチックが満を持して立ち上げたこのグループも、あまりにも衝撃的で、その後は彼等が来日すると必ずコンサートに行くようになったのでした。
1980年代に受けたこれら三度の強烈な体験は、いずれも私の音楽的嗜好を大きく左右するものだったと思います。
チック・コリアは1941年米国マサチューセッツ州チェルシー生まれで、両親はイタリア系移民です(ピアソラと似てますね)。1960年代からジャズ・ピアニストとして活動を開始した彼は、やがてマイルス・デイヴィスのバンドにエレクトリック・ピアノで参加し、現在で言うフュージョンの原点とも呼べる音楽の萌芽に立合いました。その後フリー/アヴァンギャルド路線のグループ「サークル」(Circle)を経て1972年に「リターン・トゥ・フォーエヴァー」(Return To Forever、RTF)を結成。メンバーも形態も変化させつつ1977年まで活動します。以後、ソロ、デュオを含むさまざまな編成で、アコースティックなものからシンセサイザーを活用したものまで多様な形態の活動を続けています。あまりに多様で、簡潔にまとめるには私の手に余るので、詳しくはチック・コリアの公式サイトをご覧ください(英語ですが)。
RTFといえばチック・コリアの印象が強烈ですが、少くとも後年はスタンリー・クラークとの共同プロジェクトであったようです。「永遠への回帰」を意味するバンド名は、チックが信奉するサイエントロジー(一種の宗教哲学らしい)の教義とも関係がある模様で、同じくサイエントロジー信奉者のネヴィル・ポッターが歌詞を書いたり、彼の詩がアルバムのコンセプトに大きく関与したりもしています。
RTFとして最も有名なのが、1972年録音のファーストアルバム"RETURN TO FOERVER/CHICK COREA" (リターン・トゥ・フォーエヴァー/チック・コリア、ECM/ポリドール、J28J 20217、番号は手持ちのもので、以下同様)でしょう。ジャケットのデザインから、「カモメ」の通称でも親しまれているアルバムです。チック以外にスタンリー・クラーク(b)、ジョー・ファーレル(fl, s-sax)、アイアート・モレイラ(ds, perc)、フローラ・プリム(vo, perc)というメンバーで、柔かく透明感あふれる音色と解放的な雰囲気、アイアート=フローラのブラジル色とチックのスパニッシュ趣味がミックスされたラテン的色彩が、今聴いても新鮮です。フローラのヴォーカルをフィーチャーした"WHAT GAME SHALL WE PLAY TODAY"は数年前に車のコマーシャルでも使用されたので、聴いたことのある人も多いと思います。
続く2枚目は、同じく1972年録音の"CHICK COREA and RETURN TO FOREVER/LIGHT AS A FEATHER" (チック・コリア&リターン・トゥ・フォーエヴァー/ライト・アズ・ア・フェザー、VERVE/ポリドール、POCJ-2677/8、この番号は未発表トラックを含む完全版2枚組)です。タイトル通り軽やかに飛翔するようなサウンドは気持ち良いことこの上ないものです。チックの代表曲"SPAIN"が収められており、1枚目の「カモメ」と並んで人気の高いアルバムです。
1973年には大幅なメンバーチェンジが行われます。多少の過渡期を経て定着したメンバーがチック、スタンリーに加えてビル・コナーズ(g)、レニー・ホワイト(ds)。このメンバーで1973年に録音されたのが"RETURN TO FOREVER featuring CHICK COREA/HYMN OF THE SEVENTH GALAXY" (チック・コリア・アンド・リターン・トゥ・フォーエヴァー/第7銀河の讃歌、ポリドール、POCJ-2699)です。これは、おそらく当時リアルタイムで聴いていた人にとってはあまりに大きな路線の転換に思えたのではないでしょうか。ロック的に弾きまくるビルのギターが大々的にフィーチャーされ、チックもエレピとハモンド・オルガンで対抗、さらにスタンリーはエレクトリック・ベースにファズ(音を歪ませるエフェクター)をかけてソロを弾きまくり、大バトルが繰り広げられています。レニーも鬼のように叩きまくっています。第1期の爽やか、軽やか路線とは全然違う音ですが、宇宙的なコンセプトの元で全員一丸となってパワー全開で疾走するさまは、また違った爽快感があります。"CAPTAIN SENOR MOUSE"など、ほとんど縦ノリのヘヴィ・メタルの世界で、ちょっと笑ってしまうほどです。
その後、ギタリストはビルから短期間アール・クルーに替わります。でも、ソフト&メロウ路線のアコースティック・ギタリストとして素晴らしい演奏を残しているアール・クルーも、このメンバーに対してはあまりにアンバランスな気がします。実際の音を聴いたことはないので本当のところはわかりませんが、なぜこんな人選になったんでしょうね。
アール・クルーが在籍するRTFに違和感を持ったのが当時無名のギタリスト、アル・ディ・メオラでした。彼がチックに送ったデモ・テープがきっかけとなって、彼はRTFのギタリストとして劇的なデビューを飾ることになります。チック、スタンリー、レニー、アルの4人によるRTFは1974年にアルバム"RETURN TO FOREVER featuring CHICK COREA/WHERE HAVE I KNOWN YOU BEFORE" (チック・コリア・アンド・リターン・トゥ・フォーエヴァー/銀河の輝映、ポリドール、POCJ-2700)を録音。ネヴィル・ポッターの詩をアルバムのコンセプトとして、バンドによる演奏にチックの即興的なアコースティック・ピアノ・ソロが挟まれる構成で、前作の混沌とした激しさがやや整理された上に叙情性も加味され、さらにチックのスパニッシュ趣味が随所に現れるような内容になっています。このアルバムからチックが使用しはじめたシンセサイザーも、音のバリエーションの面で非常に大きな要素となっています。美しいメロディーが大きな空間的広がりを見せる"THE SHADOWS OF LO"、ポリリズム的なアプローチと緻密な構成による劇的な展開から最後は意表を突いてファンキーに締め括られる"SONG TO THE FAROAH KINGS"などが素晴らしく、個人的にはRTFの最も好きなアルバムです。
さて、第2期はこのあと2枚のアルバムをリリースして一旦RTFは解散、その後契約の関係からビッグバンド編成の第3期RTFが誕生するのですが、これらについては次回取り上げます。
変なところで切れてしまいましたが、次回はRTFのアルバム紹介の後半、「第2期その2」からです。できればピアソラとの関与もちょっとだけ書きたいと思っています。でもちゃんとネタが揃うかな??
で、すみませんがアップ予定はまた遅れます。日付を書いてもあまり当てにならない、ということがここまでで実証されてしまいましたが、6/10以降になるということでご了承ください。
(2002年6月1日作成)